アマチュア - ザ・フィンガーズ時代とは? わかりやすく解説

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アマチュア - ザ・フィンガーズ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 23:55 UTC 版)

成毛滋」の記事における「アマチュア - ザ・フィンガーズ時代」の解説

1947年東京都生まれる。実家進駐軍と深い関わり持っており、進駐軍女性暮らしていた。そのため、幼少のころより蓄音機アメリカレコード聴いて育った小学校慶應義塾幼稚舎入学した当初映画製作の道を志望していて、慶應義塾普通部中学校)の時には、後にザ・フィンガーズメンバーとなる朝吹誠、齋藤茂一高橋信之たちと8ミリ映画撮っていた。 慶應義塾高等学校一年の時、「The cool boys」という同じ校内仲間たちのロカビリーバンドに脱退したギタリスト後釜として加入当時成毛カントリー弾いており、ロカビリーには興味持っていなかったが、そのバンド多才さ憧れたのだと言うちなみに、このバンドにはドラマー高橋幸宏の兄である高橋信之在籍していた。 ドンというニックネームだった信之の兄は当時慶大生で、同級生には山陽特殊製鋼(「華麗なる一族」のモデル一つ)の御曹司荻野など、1960年代前半頻繁に渡米できた大学生達がいた。彼らがアメリカから買ってきた最新ヒットレコードを聞きながら、成毛達は腕を上げていった。この頃幸宏は、家で練習している時にメンバーの朝吹誠(元衆議院議長石井光次郎の孫で、フランス文学者朝吹三吉息子)から手ほどきを受け、ドラムを叩くようになったこの頃までアコースティックギター弾いていた成毛だったが、この時期見た映画シャドウズ出会いエレクトリックギター転向している。 「The cool boys」はバンド名を「The savage」と改め、さらに寺内タケシ率い内田裕也らが在籍していた「ブルージーンズからもじって「ブルー・サウンズ」と改名した。「The savage時代には自主制作盤制作している。 その後成毛ベンチャーズナンバー練習中にギターの弦を上に押し上げてピッチ高くする奏法(ベンディング)の存在気づく(ただしこの奏法成毛以前から広く使用されている)。メンバーたちはそのこと感激しバンド名を当初「フィンガー・ビブラーツ」としようとしたが、バンド名が長いことや、ちょうど人数五人であったこともあり、「ザ・フィンガーズ」に落ち着いた1964年の東京オリンピックでは、選手村で他の高校生バンド当時学習院高等科在学中三笠宮宜仁親王(後の桂宮宜仁親王)がメンバーバンドなど)と共に世界各国から参加したオリンピック選手の前で演奏しオリンピック委員会から参加メダル貰っている。1965年2月フィンガーズ高校生バンドながら銀座ヤマハホールコンサートプロ人気グループ・サウンズザ・スパイダース」と共演もした。 1965年春、慶應義塾大学進学した彼らは本格的な活動開始したものの、発足からのメンバーだったドラムス朝吹誠の海外留学や、ベース斎藤茂一歌人斎藤茂吉の孫)が交通事故遭うなどして、フィンガーズメンバー成毛高橋二人となった。しかし彼らの強いバンド存続意思から、さまざまなバンドから助っ人頼み、何とか活動続けた。これら助っ人中には当時高校生で「ブッダズ・ナルシーシー」というバンドドラムスとして在籍していた、高橋の弟である高橋幸宏もいた。成毛はこの時期の、助っ人頼み活動するいわば「その場しのぎ」の活動には辟易していたが、ドラムスベースと他の解散したバンドからメンバー加入が相次ぎバンドは再び本格的な活動再開するその後キーボードとして蓮見不二男(クリストファー・リン)が加入。彼はその後成毛活動を共にし、のちに成毛結成するストロベリー・パスフライド・エッグの英歌詞担当する角田ヒロ(現つのだ☆ひろ)の「メリー・ジェーン」の英歌詞蓮見の作である。 なおベンチャーズベンディング奏法は、当時日本売られていたギターの弦の主流であったレギュラーゲージでは不可であったため(ベンチャーズライトゲージ使っていた)、ギターの弦を一段低い方にずらし、1弦にバンジョー高音弦を張るという方法考案ライトゲージ起源も、ノーキー・エドワーズその方法を採っていたことにある)、彼らや、後にヴィレッジシンガーズ結成する小松久所属していた大学生合同エレキインストサークル「T.I.C.(Tokyo Instrumental Circle)」のメンバーにそれを広め、エレキブームの火に油を注ぐ役割果たした。 彼らはエレキ・インストバンドとして実力をつけ、高い人気演奏力得た1966年にはフジテレビの『勝ち抜きエレキ合戦』に出場。四週連続勝ち抜きグランド・チャンピオンとなる。さらに、同年の「歴代グランド・チャンピオン大会」でも優勝し全国その実力を見せ付けた。ここでの成毛当時としては驚異的な早弾きこなしてみせ、他のギタリスト達を愕然とさせた。 その後、このバンド大学卒業間際になったメンバー達が就職プロの道に分かれ残ったメンバー成毛高橋蓮見)がシー・ユー・チェン新メンバー加えて石井好子音楽事務所契約1967年末にプロデビューを果たす。成毛にとってはこれが最初のプロキャリアである。 しかし、成毛事務所からギターを弾くことを禁じられキーボード担当命じられた。それまでキーボード経験無かった彼は苦戦するが、この時の経験がのちのキーボーディストとしての才能つながっていく。プロデビュー果たしたフィンガーズだったが、レコード売り上げ芳しくなく、人気低迷していたため、1969年9月解散決定した

※この「アマチュア - ザ・フィンガーズ時代」の解説は、「成毛滋」の解説の一部です。
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