アター 101
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最初のエンジンは、組み立てに少々時間がかかった。最初の部品は1946年5月に入手可能だったが、翌年の半ばまで圧縮機またはタービンが完成しなかった。最終的に完成した最初のエンジンが運転したのは1948年3月26日だった。4月5日に推力は3,700lbf(16,000N)に達し、強化は継続され、10月には4,850lbf(21,600N)に達した。この間、選りすぐれた空力学特性と向上した圧縮比を企図して初期の空冷式から高温の鋼でできた新しいタービンに置き換えられた。1950年1月に複数のエンジンの機種が計画に加えられ、総運転時間は1,000時間を超え、推力は5,955lbf(26,490N)でこの当時最も強力なエンジンだった。原型のBMW 003は、アターの半分にもおよばない1,760lbf(7,800N)だった。 アター101Bは、初期の試作機に固有の問題を解決するための変更と同様に静翼が追加された。最初のB型は1951年2月に推力5,290lbf(23,500N)で150時間の耐久試験に合格した。1951年12月5日にウーラガンに搭載されて最初の飛行試験が行われ、1952年3月27日からグロスター ミーティアの翼下に吊り下げられて試験が開始された。B型の初期生産型の納入後、アター101Cは強化された圧縮機と燃焼器により推力は6,170lbf(27,400N)に増えた。アター101Dの特徴はタービンがわずかに大きくなり、新しい耐熱合金により排気温度が1,000℃に上がった事により推力が6,615lbf(29,420N)になった。D型は同様に新しい長い管の端に"まぶた"状のシャッターを備え、吸気口に初期の可動式円錐を備えた。 アター101Eは、"0番目"の圧縮段が加えられたことにより総圧縮比は4.8:1に上がり、推力は8,160lbf(36,300N)に増えた。多数の型が幅広い航空機で試験された。 D型にアフターバーナーを加えたアター101Fは、推力が8,380lbf(37,300N)でE型に同様に追加したアター101Gは、推力が10,365lbf(46,110N)になった。これらの飛行試験は1954年8月にミステールIIに搭載されて試験されたが、この飛行機は量産されなかった。それらの最初の成功は名前のみミステールであるシュペル・ミステールで、ロールス・ロイス エイヴォンを動力として1955年3月2日に初飛行して101Gを搭載した派生機種は1956年5月15日に飛行した。1957年から370機の航空機に搭載するために量産が開始されたが、これは後に性能の観点から当時試験中だったミラージュIIIの導入により180機に減らされた。
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