ささやき戦術
トラッシュ・トーク
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 08:30 UTC 版)
トラッシュ・トーク(英: Trash-talk)とは、スポーツの試合前の記者会見や試合中に汚い言葉や挑発で相手選手の心理面を揺さぶる、また相手の気を逸らすような会話で混乱させ、調子を乱させる作戦のことを指す[1]。
- ^ “NBAにあって日本にはない文化 試合に彩りを添える“トラッシュトーク””. スポーツナビ (2023年8月20日). 2023年8月26日閲覧。
- ^ “Xbox Support”. support.xbox.com. 2023年9月4日閲覧。
- ^ モハメド・アリ、戦い続けた人生 ローリングストーン 2016年6月6日
- ^ HBO Muhammad Ali documentary 'What's My Name?' creates new impression of the legendazcentral.com 2019年5月9日
- ^ Ernie Terrell, Heavyweight Champion, Dies at 75; Lost Grudge Match to Ali ニューヨーク・タイムズ 2014年12月18日
- ^ “ささやき戦術、再生工場、ID野球、ギャンブルスタート…野村克也氏の名采配 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2023年8月26日閲覧。
- 1 トラッシュ・トークとは
- 2 トラッシュ・トークの概要
ささやき戦術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:56 UTC 版)
野村克也や日比野武、山下健と並ぶ「ささやき戦術」の使い手として知られている。しかし、野村がバッターの弱味を突いて集中力を奪っていたのに対し、達川のそれは世間話やウソなどで相手の思考を撹乱する、いわば「明るいささやき」であった。主なものは以下の通り。 広島弁で「今日飲みに行くん?」など、野球と全く関係ない話題を振る。 わざと相手打者に球種やコースを教え、いぶかしむ相手を煽る。また、わざと相手打者にも聞こえる大声で投手に配球を指示し、打者を惑わせる。谷繁元信が打席に立った際、「よう頑張っとるから、特別に次の球種を教えちゃる」と話しかけ、いぶかしむ谷繁に向けて「カーブ、カーブ、カーブ、カーブ」とつぶやき続けた。谷繁もその気になったところ、ピッチャーが実際に投げてきたのはストレートだった。思わず谷繁が文句を言うと、達川は「すまんすまん、アイツはワシのサインを理解しておらんかった」と答え、その直後に「ナイスストレート!」と言いながらピッチャーにボールを返球した。谷繁は、達川をよく知る当時の大洋監督の古葉竹識に「達川の言うことを聞くな」と叱られたという。 ルーキー時代の長嶋一茂に対して、達川は「お前、父が偉大じゃけぇ可哀そうじゃのお」とからかった上、「この前ビル・ガリクソンからホームラン打っとったのう、お前あのコース得意なんか」「それならもう一回同じところ投げさせてみようかのお」と煽った。しかし実際にそのコースに投げさせたところ、あわやホームランという大ファウルを打たれ冷や汗をかいたという。 一方、敵味方や観客に失笑を浴びることもあった。大杉勝男と対戦した際、津田恒美のコントロールが定まらず、落ち着かせるつもりで「こいつぁー石ころじゃけぇ(足が速くないので四球で出塁させても盗塁の心配はないという意味)、安心して投げてきんさい」と叫んだ。怒った大杉はわざわざ死球コースに投げさせろと要求、本当に投げさせる気などなかった達川が渋々従うと、大杉はその身体に向かって投じられた球を特大本塁打にしてしまった。達川はベースを1周した大杉に「石ころだと? ふざけるな!」と一喝された上、頭を殴るジェスチャーをされたという。 相手チームの主力選手やその時点で好調な打者に対して「悪いが1球、顔の前に通させてもらうけぇのぉ」と脅す。達川本人が引退後に語ったところによれば、「顔の前」とはインハイ攻めを指すものではなく「避けなければ当たるコース」であり、プロではブラッシュボールは駆け引きのひとつとして当然の行為と認識していたという。 なお、喋ると頭の回転が良くなり、リードが冴えてくるため、大洋が「達川無視作戦」(「絶対喋るな! 挨拶からするな!」とミーティングの段階から選手に徹底させた)を決行した。MSNでの達川のコラム「モノが違いますね」によると、これは加藤博一が提案したもので、この結果として達川本人も「お前ら、どうなっとるんじゃ」と困惑するほどペースを掴めなくなった。 この「ささやき戦術」を始めたきっかけは広島商時代、1973年春センバツ準決勝の試合前、監督の迫田穆成に「(作新学院の江川卓に)何でもええけぇ話しかけて、帰り際に広島弁で脅してこい」と心理的な揺さぶりを指示されたのが始まりと述べている。迫田の発言に仰天した達川は「何を言えばええんですか。堪えてつかあさいや(勘弁して下さい)」と必死で許しを請うたが、認められず作戦は強行された。乗り気でない上に混乱していた達川は、「今日は…、おどりゃあ(お前)覚えとけよ!」と言うのがやっとだったという。達川は後年、この作新学院戦について「江川君は本当に飛び抜けていましたね。体も大きいし、球は恐ろしく速い」「打席で実際に投球を見たら、こんなん体に当たったら死ぬなと。そう思って、打席で1歩下がって立ってましたよ」と述懐している。江川に対して行った数々の心理作戦も、あまりにも実力差があったため「少々スポーツマンシップに外れても、ハンデとして認められるだろう」と考えていたという。
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