「ロッジP2」とジェッリ代表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 15:48 UTC 版)
「ロベルト・カルヴィ」の記事における「「ロッジP2」とジェッリ代表」の解説
事件に先立つ1981年3月に、アンブロシアーノ銀行の使途不明金に対する関与や、1980年に起きたボローニャ駅爆破テロ事件を含む複数の極右テロへの関与などの容疑でイタリア当局に逮捕状が出されていた「ロッジP2」のジェッリ代表のナポリの別宅をイタリア警察が捜索した際に、「ロッジP2」に、第二次世界大戦後の王制廃止により亡命生活を余儀なくされていたヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア元イタリア王国王太子をはじめ、30人の現役将軍、38人の現役国会議員、4人の現役閣僚、更には情報部員や後にイタリア首相となるシルヴィオ・ベルルスコーニやカルヴィ、シンドーナなどの実業家、大学教授など932人のメンバーがいることがジェッリ代表が持っていたリストから確認された。 1978年以降はフリーメイソンのロッジとしての認証を取り消され、「認証されないロッジ」となっていた上に、上記のような極右テロを含む数々の罪状でイタリア当局から逮捕状が出されていたジェッリ代表が率いる「ロッジP2」に、多数の政財界の大物や元王太子までがメンバーとなっていたことは大きな批判を呼び、「P2事件」と呼ばれイタリア政財界を揺るがす大スキャンダルとなった。 これらの事態を受けフリーメイソンは、他のロッジに所属しつつ「ロッジP2」のメンバーとして活動していた全てのメンバーを、「フリーメイソンの名をかたった上で、フリーメイソンにふさわしくない活動を行った」として1981年10月31日に正式に破門した。また同年12月24日には、アレッサンドロ・ペルティーニ大統領が「ロッジP2」を「犯罪組織」と指名し、議会に調査委員会が発足した。 ジェッリ代表は、当局の捜査が入る前に、逮捕を逃れるためにスイスに逃亡していたが、1982年にジュネーヴで逮捕され、上記の容疑にあわせ、1970年代にトスカーナで発生した25件の極右テロに対する資金的援助の容疑で、イタリアとスイスの裁判所から有罪判決を受け服役した。しかし、その後数回に渡り脱獄と逮捕を繰り返した。なおこれらの一連の脱獄には、ジェッリ代表と親しかったジュリオ・アンドレオッティ首相を含むイタリア政界関係者やマフィアの関与があったとみられている。 なおジェッリ代表は、第二次世界大戦前のベニート・ムッソリーニ政権時代には、ファシスト党の「黒シャツ隊」のメンバーとして知られ、第二次世界大戦終戦後にはドイツの戦犯のアルゼンチンやブラジルなどの南アメリカ諸国への逃亡補助を行った他、冷戦下においても、極右政党でネオ・ファシスト党として知られるMSIの党員や、イタリアにおける共産主義勢力の浸透を抑えるべく奔走していたCIAの協力者となっていた。さらに、アルゼンチンのファン・ペロン大統領とも親しく、「汚い戦争」真っただ中のアルゼンチンの駐イタリア大使館の経済顧問となっていたことも明らかになっている。
※この「「ロッジP2」とジェッリ代表」の解説は、「ロベルト・カルヴィ」の解説の一部です。
「「ロッジP2」とジェッリ代表」を含む「ロベルト・カルヴィ」の記事については、「ロベルト・カルヴィ」の概要を参照ください。
- 「ロッジP2」とジェッリ代表のページへのリンク