「P2事件」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 15:50 UTC 版)
翌1981年3月には、当時ボローニャ駅爆破事件及びいくつかの経済犯罪、さらに政府転覆謀議などへの関与の容疑でイタリア当局に逮捕状が出されていたジェッリのナポリの別宅をイタリア警察が捜索した際に「ロッジP2」の会員リストが発見され、既に「認証されないロッジ」となっていた「ロッジP2」に、下記の10人を含む932人のメンバーがいることがジェッリが持っていたリストから確認され、イタリア政府より発表された。 その中には、第二次世界大戦後の王制廃止により亡命生活を余儀なくされていたヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア元イタリア王国王太子の他にも、30人の現役将軍、38人の現役国会議員、4人の現役閣僚、更には情報部員や後に合計4期に渡ってイタリアの首相となったシルヴィオ・ベルルスコーニなどの実業家、大学教授などが含まれており、「P2事件」と呼ばれイタリア政財界のみならず、ヨーロッパ中を揺るがす大スキャンダルとなった。 これらの事態を受けフリーメイソンは、ジェッリ以下の「ロッジP2」の全てのメンバーを、「フリーメイソンの名をかたった上で、フリーメイソンにふさわしくない活動を行った」として1981年10月31日に正式に破門した。また同年12月24日には、アレッサンドロ・ペルティーニ大統領が「ロッジP2」を「犯罪組織」と指名し、議会に調査委員会が発足した。 ジェッリは当局の捜査が入る前に逮捕を逃れるためにスイスに逃亡していたが、1982年に潜伏先のジュネーヴで逮捕され、上記の容疑にあわせて1960年代から1970年代にかけてトスカーナで発生した25件の極右テロに対する資金的援助の容疑で、イタリアとスイスの裁判所から有罪判決を受け服役した。しかし、その後数回に渡り脱獄と逮捕を繰り返した。なおこれらの一連の脱獄には、ジェッリと親しかったジュリオ・アンドレオッティ首相を含むイタリア政界関係者やマフィアによる組織的な関与があったとみられている。
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「P2事件」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 15:45 UTC 版)
1981年3月に、ボローニャ中央駅爆弾テロ事件をはじめとする極右テロや複数の経済犯罪、さらに政府転覆謀議などへの関与の容疑でイタリア当局から逮捕状が出されていたジェッリ代表のナポリの別宅をイタリア警察が捜索した際に、既にフリーメイソンのロッジとしての認証を取り消されていた「ロッジP2」に、下記の10人を含む932人のメンバーがいることがジェッリ代表が隠し持っていたリストから確認され、イタリア政府より発表された。 その中には、第二次世界大戦後の王制廃止により、スイスやポルトガルでの亡命生活を余儀なくされていたヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア元イタリア王国王太子の他にも、30人のイタリアの現役将軍、38人の現役国会議員、4人の現役閣僚、情報機関首脳、後のイタリアの首相となるシルヴィオ・ベルルスコーニなどの実業家、大学教授などが含まれており、「P2事件」と呼ばれイタリア政財界のみならず、ヨーロッパ中を揺るがす大スキャンダルとなり、ときのアルナルド・フォルラーニ首相は辞任に追い込まれた。
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