ロッジP2
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ロッジP2(Loggia P2、正式名称:Propaganda Due)は、イタリアに拠点を置くフリーメイソンのグランド・ロッジ「イタリア大東社 (Grande Oriente d'Italia)」傘下で活動していたロッジである。
- 1 ロッジP2とは
- 2 ロッジP2の概要
- 3 小説
ロッジP2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:14 UTC 版)
ロッジP2はイタリアに本拠を置いていた団体。メンバーはイタリアの政府や軍関係者、警察関係者内の反共産主義者を中心としていたが、南アメリカの軍事独裁政権との関係が深く、その活動内容がフリーメイソン内から非難され1976年に破門された。しかしその後も元代表のリーチオ・ジェッリらが極右組織と組んで活動し、1980年にはメンバーがボローニャ駅爆破テロ事件を引き起こした。元イタリア王国王太子のヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイアやシルヴィオ・ベルルスコーニ首相、バチカンの金融スキャンダルを引き起こし暗殺されたアンブロシアーノ銀行頭取のロベルト・カルヴィもメンバーであった。
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ロッジP2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 15:50 UTC 版)
1963年には、1877年に設立されたイタリアに本拠を置くグランド・ロッジ「イタリア大東社(Grande Oriente d'Italia)」に入会しようとしたものの、ファシスト党員やドイツへの協力者という前歴が問題とされて入会を拒否された。 しかしその後1965年に、イタリア系アメリカ人のフランク・ジリオーニや、同グランド・ロッジ傘下のロッジである「ロッジP2」(P2=Propaganda Due)のロッジ代表代理で、社会民主党員のピエトロ・アスカレッリからの推薦を受けて入会を果たす。その後1970年には「ロッジP2」のロッジ代表に選出され、1971年には「イタリア大東社」のグランド・マスター(=親方)となった。 その後「ロッジP2」への会員の獲得を進めた上に、「ロッジP2」は冷戦たけなわの1970年代に、イタリア社会運動党の関係者や、イタリアの右派政治家や軍人を中心に、アルゼンチンなどの南アメリカ諸国の軍事政権の政治家や軍人もメンバーに持ち、さながら冷戦下における反共産主義者の集まりとして活動していた。同ロッジのメンバーは、反共産主義活動の一環として南アメリカの軍事政権への最新の武器買い付けを行ったほか、アルゼンチンで「汚い戦争」を進めていたホルヘ・ラファエル・ビデラ大統領を積極的に支援していた。 さらに、当時歴代のボリビアの軍事政権指導者とその警察の治安対策アドバイザーとなっていたバルビーを経由して、アルゼンチンのペロン大統領の支援の下ボリビアへ亡命し、1964年から政権を握ったレネ・バリエントス・オルトゥーニョ将軍との関係も結んだ。 この様な活動が疑惑と批判を浴び、1976年にフリーメイソンのロッジとしての認証が取り消されたものの、その後も「認証されないロッジ」として、他のロッジのメンバーとなった元メンバーのイタリアの政治家や軍人、極右活動家を中心に、言葉通りの「秘密結社」的存在として活動していた。
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ロッジP2
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その後は行内で順調に出世の階段を上がり、1971年には投資部門の責任者になり、バミューダやパナマなどでのオフショア取引を進めるなど積極的な事業展開を進めた。 また、1969年には、ネオ・ファシストの極右政党であるMSIやCIAと深い関係を持っていたリーチオ・ジェッリが代表を務めるフリーメイソンの「ロッジP2(Propaganda Due)」の会員となり、ジェッリを通じて、バチカン銀行の財政顧問も務めた弁護士で、自らが経営するミラノのプライベートバンクを通じてマフィアのマネーロンダリングを行っていたミケーレ・シンドーナとの関係を結んだ。 なおシンドーナは、第二次世界大戦後から、ラッキー・ルチアーノやジョー・アドニス、ヴィト・ジェノヴェーゼらのアメリカのイタリア系マフィアや、サルヴァトーレ・リイナなどのシシリア系マフィアなどのマネーロンダリングを手掛けていたことで知られていた他、これらの「裏世界」の人間だけではなく、バチカン銀行総裁でアメリカのシカゴ出身のポール・マルチンクス大司教や、さらにマルチンクス大司教と昵懇の仲で、マフィアと関係の深かったジョン・F・ケネディとも親しく、さらにリチャード・ニクソン政権の財務長官を務めた銀行家のデヴィッド・M・ケネディなどの「表」の人物とも深い関係にあった。 また、マルチンクス大司教もアメリカ在住時から、「ロッジP2」のメンバーのマフィア関係者との深い関係が噂されていた他、1978年8月の法皇就任時に、バチカン銀行の改革(マルチンクス大司教の追放とアンブロシアーノ銀行との関係見直しを含む)を表明していたものの、就任後わずか33日で急逝したヨハネ・パウロ1世の「暗殺」にも関与していたと噂されていた。
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