黒沢健一
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黒沢 健一 | |
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生誕 | 1968年8月11日 |
出身地 | 日本 |
死没 | 2016年12月5日(48歳没) |
職業 | シンガーソングライター, 作曲家, 作詞家, プロデューサー |
担当楽器 |
ボーカル エレクトリックギター アコースティックギター ピアノ |
活動期間 | 1990年 - 2016年 |
共同作業者 | L⇔R(1990年 - 1998年) |
公式サイト | http://www.k-kurosawa.com/ |
経歴
高校生時代、アマチュアバンドで参加したコンテストで、小室哲哉から特別賞を与えられる(後のL⇔R「(I Wanna)Be With You」)。その楽曲がきっかけとなり、19歳で作曲家としてデビュー。南野陽子、島田奈美らに楽曲を提供する。
1990年頃、個人的に作っていたデモテープ(後のL⇔R「Love is Real?」)が、知り合いであった音楽プロデューサー・岡井大二(元四人囃子)の耳に止まり、当時ポリスターレコードのプロデューサーだった牧村憲一に紹介、L⇔Rとしてデビューへのきっかけとなる。
1990年、弟の秀樹、友人であった木下裕晴の3人でL⇔Rを結成し、グループ活動を開始。1991年、ミニアルバム「L」でデビュー。以後13枚のシングル、7枚のアルバムを発表。
1998年、「CONCERT TOUR '97 "Doubt"」終了後L⇔Rの活動休止を発表、ソロ活動に入る。
ソロ名義での作品リリースの他、curve509、Science Ministry、健'z(健'z with Friends)、MOTORWORKS、ハンキー・パンキーなどのグループ活動も精力的に行う。その他、音楽プロデューサー、作曲家としての活動も続けている。
2007年11月8日に自身の公式サイトでワンマンライブ開催を発表。12月にはiTunes限定で5年ぶりに新曲を発表、年末には単独ライブを開催するなど、歌手活動を再開。
2008年5月には全国6か所でツアー「TOUR without electricity 2008」を開催。
2009年3月4日に、ソロとしては7年ぶりとなるアルバム「Focus」を発売。その後、全国6都市でバンドツアーを開催。
2016年10月3日、自身の公式サイト上で、脳腫瘍の治療中であることを公表。2015年10月のライブのリハーサル中にめまいを起こしたことをきっかけに検査をした結果発覚し、その後入退院を繰り返していた[1]。
2017年1月23日、東京カルチャーカルチャーにて「黒沢健一を偲ぶ献花の会」が執り行われた[3][4]。
同年3月15日、「first」「B」「NEW VOICES」の3枚がボーナストラック入りでリイシューされる。「first」のボーナストラックには、未発表だった「What is this song?」のスタジオバージョンが収録された。
テレビ出演
- サニーロック!(2007年12月23日、テレビ神奈川)
- 音楽と髭(2008年5月20日、新潟テレビ21)
- シャ乱Q結成20周年記念LIVE 感謝!ハタチのシャ乱Q みんなでお祝いだ!日本武道館フェスティバル 〜長いよ〜(2008年12月12日、WOWOW)
- とくダネ!(2009年3月5日、フジテレビ)
- お願い!ランキング(2010年3月25日、テレビ朝日)
- 1番ソングSHOW(2013年5月29日・2014年1月22日、日本テレビ)
- 関ジャニの仕分け∞(2013年6月22日・2013年7月6日、テレビ朝日)
- V3(2013年6月28日・2015年2月27日、九州朝日放送)
- ありがとッ!(2013年7月1日・2015年3月25日、テレビ神奈川)
- 1位をとった名曲音楽祭(2013年10月4日、日本テレビ)
- ^ “黒沢健一が脳腫瘍を報告”. 音楽ナタリー. (2016年10月3日) 2016年10月3日閲覧。
- ^ “黒沢健一が脳腫瘍のため逝去”. 音楽ナタリー. (2016年12月7日) 2016年12月7日閲覧。
- ^ “黒沢健一さん偲ぶ会、多くのファンが涙…「まだ信じられない」”. ORICON NEWS. (2017年1月23日) 2017年1月24日閲覧。
- ^ “黒沢健一を偲ぶ献花の会”. 東京カルチャーカルチャー 2017年1月24日閲覧。
固有名詞の分類
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