霊鷲山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 18:18 UTC 版)
霊鷲山 | |
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霊鷲山の山頂 | |
所在地 | インド |
位置 | 北緯25度0分7秒 東経85度26分48秒 / 北緯25.00194度 東経85.44667度 |
プロジェクト 山 |
名称
原語では
中国や日本では
- 音写:耆闍崛山(ぎじゃくっせん)、祇闍崛山、等他
- 他の訳:鷲峰山(じゅほうせん)、霊頭山、鷲頭山、鷲台、等他
- 略記:霊山(りょうぜん)
太字は、よく表記されるもの。
原語のグリドラあるいはギッジャとはハゲワシのことである。この山のかたちが、空に斜めに突き出すようになっておりしかも頂上部がわずかに平らになっていてハゲワシの首から上の部分(頭)によく似た形をしているから、こう名づけられたと言われている。あるいは山上に霊鷲が多いために名づけられた、との説もある。和語では“わしのみ山”ともいう。
概要
現在のラージギルの東方にあるSaila-giriの南面の山腹にあり、北緯25度0分7秒 東経85度26分48秒 / 北緯25.00194度 東経85.44667度座標: 北緯25度0分7秒 東経85度26分48秒 / 北緯25.00194度 東経85.44667度にある。現在はチャタ(Chata)山と呼ばれている。
釈迦の在世当時では、マガダ国の首都だった王舎城(ラージャグリハ)の東北、ナイランジャナー(尼連禅河=にれんぜんが)の側にある小高い山である。
この山は長らくの間、場所も忘れられていたが、1903年(明治36年)1月14日朝、大谷光瑞が率いる第1次大谷探検隊が朝日に照らされたこの山を仏典上の霊鷲山と同一と確定した。数年後のインド考古局第3代目の長官ジョン・マーシャルの調査によって国際的に承認された。
かつてビンビサーラ王も、車を降りてその参道を登ったといい、王の要請により布薩制(ふさつ、懺悔の儀式)を設けられた。
阿含経典群における霊鷲山
釈迦の言動を記録した阿含経典群においては、釈迦が実際に霊鷲山で説法したという記録はあまりない。ただ、長阿含経『遊行経』『典尊経』『散陀那経』、並びに長部『アナタニャータ経』には釈迦が霊鷲山にいたと記されている。
- 1 霊鷲山とは
- 2 霊鷲山の概要
- 3 大乗経典における霊鷲山
固有名詞の分類
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