鈴木明子
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人物
愛知県豊橋市出身。豊橋市立花田小学校、名古屋経済大学高蔵中学校・高等学校、東北福祉大学総合福祉学部社会福祉学科卒業。愛称はアッコ、アッコちゃん。現在は邦和スポーツランド(東邦ガス・東邦不動産運営のスポーツクラブ)に所属[4]。趣味は読書、ヨガ[5]。特技は書道、料理[5]。女性シンガーMetisの曲を好み、聞きながら練習することがある。Metisとは同じ誕生日で親交も深く、鈴木がMetisのプロモーションビデオに出演したことがある[5]。
全日本選手権で初めて表彰台に登り冬季オリンピック初出場が24歳、また全日本選手権初優勝と冬季五輪二度目の出場が28歳と、20代半ばに入った頃から顕著な成績を残しており、日本代表の女子フィギュアスケート選手としては類い稀の非常な遅咲きの選手であった。下記のように、摂食障害などを乗り越えた苦労人でもある。レッドブルの愛飲者である(疲れた時や、頑張りどころと思ったときに飲む)[6]。
2016年6月20日、自身が出演する番組で小学校の同級生と婚約したことを公表[7]。翌年の2月6日には同番組中で、2月1日に結婚したことを発表した[8]が、2018年9月に離婚した[9]。
2018年3月、トルコ・イスタンブール日本人会の親善大使に就任[10]。
経歴
大学時代まで
6歳のころスケートを始めた。名古屋の荻野正子の指導のもと、ノービス時代から頭角を現した。小学6年になるとジャンプの指導に定評がある長久保裕が仙台市のリンク(現・アイスリンク仙台)で開催していた1週間の夏合宿に初めて参加し、中学校に上がってからもほぼ毎年参加した[11]。中学1年となった1997-1998シーズン、1998年長野オリンピックを前に1997年10月に初開催された第1回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会[12]のAクラスで3位に入った。
高校1年に上がった2000-2001シーズンは、全日本フィギュアスケートジュニア選手権で2位、全日本選手権で4位。2001-2002シーズンはジュニア特別強化選手に指定され[13]、ジュニアGP・SBC杯で優勝、ジュニアGPファイナルでは3位となった。全日本選手権で前年に続いて4位となり、四大陸選手権にも出場した。定評のある表現力はこの頃までに身についていたものである。2002-2003シーズンからはジュニア特別強化選手兼シニア強化選手となり[14]、ムラドストトロフィージュニアクラスで1位となった。
高校時代にジュニアGPシリーズに出場するようになってから、夏休み期間中は仙台に滞在して長久保コーチの指導を仰ぐようになっていたため、2003年春には東北福祉大学(仙台市)に進学し、長久保の自宅に下宿して指導を受けるようになった[11]。初めて親元を離れるなどの環境の変化から引き起こされた摂食障害により健康を害し[15][16][17]、2003-2004シーズンは競技会に出られない日々が続いた。2003年のスケートカナダにエントリーしていたが、出場を辞退している[18][16]。
2004-2005シーズンから競技会に復帰した。同シーズンに一度強化選手の指定を解除されていたが[19]、翌シーズンに再指定された[20]。2006-2007シーズンのユニバーシアード冬季大会で優勝。
24歳・バンクーバー五輪8位入賞
大学卒業後の2007年4月からは長久保コーチのいる名古屋の邦和スポーツランドに拠点を移し、同施設を運営している会社の契約社員になった[11][15][21]。2007-2008シーズン、ゴールデンスピンで優勝。全日本選手権では5位に入った。
2008-2009シーズン、ネーベルホルン杯で3位となり、フィンランディア杯では優勝。開催国枠でNHK杯に初出場し、銀メダルを獲得。全日本選手権では4位、惜しくも表彰台及び世界選手権選出は逃したが、7季ぶりに四大陸選手権に出場し8位に入った。
24歳で迎えた2009-2010シーズン、中国杯でGPシリーズ初優勝。初出場のGPファイナルでは3位に入った。全日本選手権では初の表彰台となる2位に入り、バンクーバーオリンピック代表選出を果たした。四大陸選手権では2位、この大会のSPではスピン・ステップ・スパイラル全てレベル4を獲得した。
2010年2月のバンクーバーオリンピックにおいては、SPでミスが出て11位の発進だったが、フリースケーティングでは7位となり総合で8位入賞を果たす。現役引退で出場辞退した中野友加里に替わり、これも自身初の出場だった同年3月の世界選手権は、SPでジャンプやスパイラルの失敗が目立ち20位と大きく出遅れるも、フリーで挽回し総合11位となった[22]。
27歳・世界選手権銅メダル獲得
2010-2011シーズン、フィンランディア杯で優勝。GPシリーズでは、中国杯、ロシア杯共に2位、2年連続のGPファイナルでは4位となった。全日本選手権ではショートで3回転ルッツが回転不足になるジャンプの着氷ミスが響き4位に終わり、世界選手権代表入りを逃した。3年連続で出場した四大陸選手権も7位と振るわなかった。
2011-2012シーズン、スケートカナダでは2位、NHK杯ではSPで自身初となる3回転トウループ―3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させ、SP及びトータルスコアで当時の自己ベストをマークし2年ぶりのGPシリーズ優勝、3年連続のGPファイナル進出を決めた。そのGPファイナルでは2位に入り銀メダルを獲得。全日本選手権では優勝の浅田に次いで2位、2年ぶり2回目の世界選手権代表入りを決めた。
翌2012年3月の世界選手権は、SPでステップからの3回転ルッツが2回転となる失敗で5位と出遅れたが、フリーでは中盤3連続ジャンプの回転不足や終盤1回転ルッツのミス以外はうまくまとめて2位となり、総合3位に入り銅メダルを獲得した。なお27歳で世界選手権のメダル獲得は、日本選手では鈴木が最年長となる(それ以前は村主章枝が2006年世界選手権2位・銀メダルを獲得した当時で25歳だった)。初出場となった世界国別対抗戦では、SPでパーソナルベストを更新し2位。フリーも2位だったものの、女子シングルでは総合1位となり日本代表の総合優勝に大きく貢献した。
2012-2013シーズン、スケートカナダ及びNHK杯ではSPが共に5位発進と不本意だったが、フリーでは共に1位の好演技により両大会続けて2位に入り、4年連続のGPファイナル進出となる。特にNHK杯のフリーでは2回の3回転ルッツのエッジエラー判定や3回転ループの回転不足といった細かいミスはあったものの他は完璧の演技を披露。126.62という自己最高得点をマーク。しかしGPファイナルは、フリーで2回ジャンプ転倒が響いて総合3位に留まった。全日本選手権ではSPで首位に立ち、初優勝が期待されたものの、フリーではジャンプのミスや回転不足が重なり、総合4位に終わった。
地元日本・大阪開催の四大陸選手権ではトータルでパーソナルベストを更新し総合2位に入った。2大会連続のメダル獲得なるか注目された世界選手権に出場したが、SPではジャンプの回転不足などで7位と出遅れ、挽回を狙ったフリーでもコンビネーションが抜けるなどミスが重なり、総合12位と振るわなかった。
28歳・全日本選手権初優勝・ソチ五輪8位連続入賞
2013-2014シーズン、この頃より、井上智子がスポーツトレーナーとしてサポートに入り、体幹トレーニングを強化[23]。スケートカナダで2位、NHK杯では3位と、惜しくもGPファイナル進出は果たせなかった。しかし、全日本選手権ではSPで2位発進だったが、フリーではGOEでマイナスが一つも付かない会心の演技を披露し、過去13回出場した同大会で悲願の初優勝を果たした。なお、全日本選手権の女子シングルで28歳での優勝および冬季オリンピック代表選出は、鈴木が最年長記録となる。
2014年2月のソチオリンピックにおいては、両足小指に魚の目の痛みに悩まされる中、団体戦のフリースケーティングに出場したが4位、日本代表としては総合5位に終わる。個人戦のSPではミスが出て8位、フリーでも転倒し8位となり総合8位に留まったが、女子フィギュアスケート日本代表選手としては史上5人目と成る、冬季五輪2大会連続入賞を達成した。
29歳・世界選手権出場を最後に引退
通算4回目の出場だった2014年3月、さいたま市での世界選手権では、SPで自身初の70点台を叩き出し4位発進。フリーでは序盤3ルッツからの3連続コンボが2ルッツに失敗、又ジャンプの回転不足が重なるなど点が伸びず総合6位だったが、29歳での世界選手権入賞(8位以内)は日本人最年長記録である。この大会を最後に、フィギュアスケート競技生活からの現役引退を発表した[24][25]。
引退後
2015-16シーズン、本郷理華選手のショートプログラム(曲はインカンテーション シルク・ドゥ・ソレイユ『キダム』より)で振付師としてデビューした。前シーズンで自身のアドバイスが本郷選手のグランプリシリーズ・ロシア杯優勝に結びついたことが、きっかけになった[26]。その後、横井ゆは菜、松田悠良、永井優香、イム・ウンスらの振付を担当した。2017年7月4日、日本オリンピック委員会のアスリート委員に選出された[27]。
現在はフィギュアスケートの振付、アイスショーの出演、スケートの解説、スケート関連のテレビ・ラジオ番組出演等を主に活動中である。
技術・演技
スケーティングやエッジワークの巧みさは群を抜く[28]。ジャンプでは主にループとサルコウを得意とするが、ルッツとフリップがやや苦手で、特にルッツで時折エッジエラー判定を受けることがある[29]。
- ^ ソチオリンピック2014 鈴木 明子 (スケート・フィギュアスケート) プロフィール - JOC
- ^ a b c d 『フィギュアスケート日本女子ファンブック2009』扶桑社、2008年12月、p.40
- ^ a b c d 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.26
- ^ 『ファンブック2009』p.40
- ^ a b c プロフィール|鈴木明子 -Akiko Suzuki- Official Web Site
- ^ “続ソチ思”. 鈴木明子オフィシャルブログ「shantiな日々」 (2014年3月2日). 2020年11月2日閲覧。
- ^ “鈴木明子さん 笑顔で婚約報告 お相手は小学校時代の同級生”. スポニチアネックス. (2016年6月20日) 2016年6月20日閲覧。
- ^ “鈴木明子さん結婚生報告 お相手は小学校時代の同級生「ゆっくりやっていこうと」”. スポニチアネックス. (2017年2月6日) 2017年2月6日閲覧。
- ^ “元フィギュア選手の鈴木明子さん、スピード離婚…結婚生活1年7カ月で”. サンスポ・コム. (2018年10月12日) 2018年10月12日閲覧。
- ^ “鈴木明子さん、トルコでスケート教室 日本人会の親善大使就任”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2018年3月8日) 2020年11月2日閲覧。
- ^ a b c “【鈴木明子のHAPPY SKATING】すっかり長いお付き合い”. SankeiBiz. (2013年9月18日). オリジナルの2014年3月11日時点におけるアーカイブ。 2020年11月2日閲覧。
- ^ 変遷(長野県スケート連盟)
- ^ 日本スケート連盟 フィギュアスケート平成13年度強化選手一覧
- ^ 日本スケート連盟 フィギュアスケート平成14年度強化選手一覧
- ^ a b 『日本女子フィギュアスケートキャラクターブック 2008-2009』マガジンハウス、2008年10月、p.29、p.27
- ^ a b 田村明子著『パーフェクトプログラム 日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』新潮社、2010年3月、p.87
- ^ “摂食障害で「幽霊みたい」…鈴木明子、集大成へ”. yomiDr. (読売新聞社). (2014年2月20日) 2014年2月20日閲覧。
- ^ 『ファンブック2009』p.38
- ^ 日本スケート連盟 フィギュアスケート平成16年度強化選手一覧
- ^ 日本スケート連盟 フィギュアスケート平成17年度強化選手一覧
- ^ 「邦和スポーツランドを経営している、東邦不動産の社員」と記す資料もあるが(『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009女子シングル読本』ダイエックス出版出版、2008年9月、p.30)、勤務先が邦和スポーツランドであることについては一致している。
- ^ “鈴木明子、世界選手権に繰り上げ出場…フィギュア”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2010年3月3日). オリジナルの2010年3月5日時点におけるアーカイブ。 2020年11月2日閲覧。
- ^ ストレートボディ
- ^ “明子引退 2度の五輪ともに8位入賞「悔しいところもある」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2014年3月29日) 2020年11月2日閲覧。
- ^ “鈴木明子さん 引退届提出を報告 プロとして「表現者に」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2014年4月4日) 2020年11月2日閲覧。
- ^ “フィギュア:選手から職人へ…鈴木明子さん、振付師の道に”. 毎日新聞. (2015年11月4日). オリジナルの2015年11月7日時点におけるアーカイブ。 2020年11月2日閲覧。
- ^ “JOCアスリート委員にフィギュア・鈴木明子さんら指名”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2017年7月4日) 2020年11月2日閲覧。
- ^ 斎藤貴子編『フィギュアスケート07-08シーズンフラッシュバック』実業之日本社、2008年3月、p.38
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- ^ “プログラム”. 鈴木明子オフィシャルブログ「shantiな日々」 (2013年7月1日). 2020年11月2日閲覧。
- ^ 『フィギュアスケートDays Plus 2009-2010女子シングル読本』ダイエックス出版、2009年9月、pp.16-19
- ^ 『2008-2009女子シングル読本』p.30
- ^ a b 『日本女子フィギュアスケートキャラクターブック 2008-2009』pp.27-29
- ^ 『ファンブック2009』p.90
- ^ 『2008-2009女子シングル読本』pp.30-32
- ^ a b 「フィギュアスケート振付師ファイル」『フィギュアスケートDays vol.8』ダイエックス出版、2009年2月、pp.76-77
- ^ 境田優「2006全日本フィギュアスケート選手権レポート」『フィギュアスケートDays vol.2』DAI-X出版、2007年3月、pp.36-47
- ^ 第75回全日本フィギュアスケート選手権パンフレット
- ^ 青嶋ひろの「振付師に聞く 第4回 阿部奈々美」『フィギュアスケートDays vol.3』DAI-X出版、2007年5月、p.66-69
- ^ a b 「スタンダードナンバー大比較 アランフェス協奏曲」『フィギュアスケートDays vol.9』ダイエックス出版、2009年4月、pp.54-57
- ^ 『ファンブック2009』p.85
- ^ “バンクーバー五輪・女子フィギュア鈴木明子選手が金メダル応援ソングで“女優デビュー””. ORICON NEWS (2010年1月22日). 2022年2月13日閲覧。
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