野原正勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 23:54 UTC 版)
野原 正勝 のはら まさかつ | |
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生年月日 | 1906年3月16日 |
出生地 | 埼玉県秩父郡野上町 |
没年月日 | 1983年2月10日(76歳没) |
出身校 |
旧制宇都宮高等農林学校 (現・宇都宮大学)林学科 |
前職 | 青森営林局(林野庁) |
所属政党 |
(日本自由党→) (民主自由党→) (自由党→) (日本民主党→) 自由民主党 |
親族 | 孫・近藤洋介 |
第30代 労働大臣 | |
内閣 | 第3次佐藤内閣 |
在任期間 | 1970年1月14日 - 1971年7月5日 |
選挙区 | 旧岩手1区 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 | 1947年 - 1955年5月23日 |
在任期間 | 1958年 - 1976年 |
来歴・人物
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埼玉県出身。旧制宇都宮高等農林学校(現・宇都宮大学)卒業後、青森営林局(林野庁)入庁。
1947年の第23回衆議院議員総選挙に盛岡営林署在籍のまま旧岩手1区から出馬し初当選。通算当選10回。自民党内では三木武夫派に属した。
1955年5月23日に公職選挙法違反被告事件につき最高裁判所の言渡した判決に対する訂正の申立が棄却され、被選挙資格を喪失して議員退職した[1]。
第3次吉田茂内閣では農林政務次官を務め、1970年1月から1971年7月まで第3次佐藤榮作内閣の労働大臣を務めた。
1976年の第34回衆議院議員総選挙で落選したため、政界引退。なお、引退前に永年勤続(25年)を迎えていたために第79回国会で永年勤続表彰を受けた[2]。
1983年2月10日、心不全のため岩手県盛岡市の病院で死去。76歳没。
家系
娘婿は経済企画庁長官、労働大臣などを務めた元自由民主党衆議院議員の近藤鉄雄。孫は米沢市長で元衆議院議員の近藤洋介。
- ^ 『官報』本紙第8519号455ページ「国会事項 ◯衆議院 議員退職」、1955年5月28日
- ^ “第79回国会 衆議院本会議 第4号 (昭和51年12月28日)”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館 (1976年12月28日). 2020年2月5日閲覧。
- 1 野原正勝とは
- 2 野原正勝の概要
- 3 主な政治的主張と業績
- 4 参考文献
固有名詞の分類
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