連合国救済復興機関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:34 UTC 版)
援助
- 対象
- UNRRAの援助対象は主に欧州諸国、特に東欧であった。アジアでは中国、朝鮮、フィリピンが主要受益国として挙げられる。のちにUNRRA理事会は旧敵国(枢軸国)のうち、イタリアとオーストリアを援助対象に加えることを承認した。だが、ドイツと日本が対象に含まれることは決してなかった[11]。
- 物資の内訳
- 人民の生命と健康を維持するために食糧、衣服、医薬品などが用意され、農業や工業の再興を図るために種子、肥料、家畜、燃料、機械類が提供された。また、これら必要物資を送付するために、大量のトラックが買い付けられた。
- 事務手続[12]
- 事務局長は、個々の参加国政府に提出させた援助要請の内容を審査し、策定した全体計画を英米合同評議会 (Anglo-American Combined Board) に提出する。
- 英米合同評議会は、連合国軍隊の必要物資が充足された後、利用可能な物資及び船舶をUNRRA及び各国政府に割り当てる。
- 援助物資は受取り国政府に引き渡されるが、政府は物資の国内での分配と、自国通貨での売上高とを峻別して把握し、売上高はUNRRAと合意した目的での救済に使用する。
- 援助供与国のうち、米国の場合は対外経済局 (Foreign Economic Administration) が実施機関としてUNRRAとの関係を調整した[13]。対外経済局は、UNRRAが調達を必要とする物資の最終審査を行い、武器貸与か陸軍の貯蔵かのいずれかから、場合によっては財務省、農務省を通じて物資を発注したのち、船舶輸送の手続きを行った[14]。同局はのちに廃止され、国務省が任務を継承した[13]。
- ^ 有賀貞「トルーマン・ドクトリン」(『原典アメリカ史(第6巻)』、225頁)は「国連救済復興局」、土屋清「UNRRA」(『世界大百科事典(1964年版)』)は「国際救済復興機関」と訳している。
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、57-58頁。
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、58-59頁。
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、59-60頁。
- ^ 福田茂夫「戦後世界政治の原点―ヴァンデンバーグと超党派冷戦外交の助走」 川端(1988年)、13頁。
- ^ a b 板垣、佐藤(1960年)、60頁。
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、60-61頁。
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、68頁。
- ^ ラ・ガーディアはイタリア出身の人物であるが、幼少期に米国に帰化した。その際、ミドルネームの「エンリコ (Enrico) 」を英語風の「ヘンリー (Henry) 」に改めた。
- ^ コロンビア百科事典第6版
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、61頁。
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、65-66頁。
- ^ a b 板垣、佐藤(1960年)、65頁。
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、66頁。
- ^ a b 板垣、佐藤(1960年)、63頁。
- ^ a b 板垣、佐藤(1960年)、64頁。
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、70頁。
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、71頁。
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、70-71頁。
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、71頁。
- ^ 板垣、佐藤(1960年)、71-72頁。
- ^ a b c 板垣、佐藤(1960年)、72頁。
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