趙鏞基
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/01 06:32 UTC 版)
経歴
- 1936年2月 朝鮮半島慶尚南道(現在は大韓民国)にて生誕
- 1958年3月 純福音神学校(現在の韓世(ハンセ)大学校)卒業
- 1958年5月18日 デゾ洞純福音教会創立、汝矣島純福音教会堂会長
- 1966年-1978年 大韓アッセンブリーズ・オブ・ゴッド総会長
- 1978年 カリフォルニア神学大学名誉文学博士
- 1989年 オーラル・ロバーツ大学名誉牧会学博士
- 1986年 純福音学院韓世大学校理事長
- 1992年9月- 2000年8月、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド世界総裁
- 2021年9月14日 ソウル大学病院[1]にて永眠。
誕生から現在まで
1936年2月14日、大日本帝国の統治下にあった朝鮮半島の慶尚南道(現在は大韓民国)にて生まれる。17歳のとき肺結核を患い、死を目前に病床生活を送っていたが、見舞いに来た姉の友人を通して福音を聞きイエス・キリストを信じ、奇跡的に癒される。
1956年「純福音神学校」に入学、後の牧会同労者で義理の母となる崔子実(チェ・ジャシル)牧師に出会う。神学校を卒業した1958年、崔牧師の自宅で創立礼拝を捧げる。その地に、7年間全身麻痺で病んでいたムソンという子どもの母親がいた。神の力を求める趙は11ヶ月に渡り祈り続けた。ある夜母親は、自宅にいるはずの趙が母親の家の庭に来て祈っている幻と声を聞き、その声で立ち上がると癒されてしまった。これにより、巫女と村のチンピラたちまでもがイエスを信じるようになり、異教者たちは自分達の拝殿に火をつけ、焼き払ってしまった。村中の人々が出て来て祝福し、その土地を趙に贈った。その後天幕礼拝を開始。1961年1500席の会堂が完成。1964年信徒数3,000名。多忙により倒れた趙は、聖書の出エジプト18:18により区域組織を活性化。これが教会成長の基盤となる。1968年信徒数8,000名。
1969年、ヨイドにて会堂建築に着工。直後にオイルショックに見舞われ、趙は財政的に絶望状況に陥る。工事は中断し、中断した地下室で毎晩神に叫び祈った。信徒たちも「教会蘇生運動」を開始。ついに1973年会堂が完成した。以降教会は急成長。1979年10万名、1981年20万名。1984年40万名、2006年78万名。世界最大のキリスト教会としてギネスブックに登録されている。
教会のほかに国民日報、ハンセ大学、エリム福祉タウン、良い人々(NGO)などの機関・団体を設立しながら、宣教と教育、福祉と救済ミニストリーなどを行っている[3][4]。
- ^ a b “[속보 여의도순복음교회 설립 조용기 목사 별세…(汝矣島純福音教会創立趙鏞基牧師逝去)]”. ハンギョレ. 2021年9月14日閲覧。
- ^ “(30)함안 조씨(咸安趙氏)-259,196명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年8月7日). 2022年7月18日閲覧。
- ^ 『4次元の人-3次元の人生を支配する』トランスフォーメーション・グロース小牧者出版
- ^ a b c d e TV番組『幸福への招待』放送内容より
- ^ 『4次元の超霊力―神の力を解き放て』カッパ・ブックス光文社
- ^ ピーター・ワグナー『日本の霊の壁を打ち破れ』暁書房
- ^ FGTV-純福音神学
- ^ 韓国教会の指導者らが会合、CCK・韓教連統合のための提案を発表 チョー・ヨンギ牧師が仲介役に
- ^ 『第四次元』p.19,幸福への招待
- ^ チョー・ヨンギ牧師への名誉棄損で反キリスト教市民運動連合メンバーに罰金判決
- ^ The Kyunghyang Shinmun, 14 March 2011. .
- ^ 背任罪などで罰金判決受けたチョー・ヨンギ牧師、主日にメッセージ 「所有してはならないことを学んだ」.
- ^ American, Taiwanese Pastors Disclose Insider Details to David Yonggi Cho's Indictment
- ^ Christianity Daily, 6 July 2016. .
- ^ チョー・ヨンギ牧師、背任罪で懲役2年6月、執行猶予4年確定 最高裁が上告棄却 .
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