芹沢博文
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盤外での活動
- 現在も全国各地で行われている「将棋まつり」を企画・立案するなどアイデアマンとしても知られた。また、1976年には蔵前国技館で「将棋の日」イベントを開催する立役者となった。このイベントは平日開催であったにもかかわらず、8500人もの観客を集めて大盛況に終わる。
- 山口瞳の『血涙十番勝負』では、連盟サイドでの調整にあたって自らも第六番の対局者として山口と対峙した。
- 『日曜天国』の司会や『アイ・アイゲーム』の解答者など、テレビタレントとしても活躍しており今で言う「文化人タレント」のはしりでもあった。また、1981年の映画『の・ようなもの』では俳優として出演している。
- 観戦記をはじめ、エッセイなど文章家としても活躍しており、多くの著作を残している。
- 観戦記でのペンネームは『鴨』。本人曰く『鴨長明のような流暢な文章を書きたい』との思いでこの名を付けた。また藤沢秀行などの近しい人物は、彼のことを新撰組の筆頭局長、芹沢鴨になぞらえて『芹鴨』と呼んでいた。
- 大の将棋好きであった田中角栄とも親しく、一時期自由民主党からの参議院選挙の全国区からの出馬も取り沙汰された。
- 晩年には作詞・伊奈二朗 / 作曲・山本寛之作の『野風増』で歌手デビューも果たす。
- 焼酎「おつだね」のCMに長女と共演して「おつだね一杯、ぐいっ!」と台詞を放っている。
- 1982年に、テレビ東京系時代劇『大江戸捜査網』第542話『待ったなし!二万両の王手』に、当代の将棋名人役で特別出演している。
- DAM(第一興商)で配信されている北島三郎『歩』のカラオケ(本人映像)では、歌が将棋を題材としているということもあり、自ら出演して北島と対局している[3]。
- ^ 谷川はこの年、10勝2敗でA級に昇級している。
- ^ 中原は自分が届かない場所に行き、米長にも抜き去られたと感じ「前に2頭いれば連対出来ない」と競馬の勝負に例えて語っている。
- ^ 内藤國雄九段「どういうわけか将棋の好きな大学生は女の子にもてないようである」 - 将棋ペンクラブログ・2013年10月19日
- ^ 1982年当時は、C級2組からの降級は無かった。
- ^ a b 山田史生『将棋名勝負の全秘話全実話』(講談社アルファ文庫、2002年)
- ^ 他の将棋関係者では伊藤宗看役の伊藤果はそのまま出演している。
- ^ 本来蛸島が演じる予定だった女性棋士役については、女優の横山リエが急遽これを演じて事が済まされた。
- ^ 棋士とのプライベートの交遊を絶っただけであり、1987年に発足した将棋ペンクラブには発足当初から参加し、各賞の選考委員は逝去するまで続けた。
- ^ 能智映「棋士の楽しみ/(書く) 碁盤が机がわり」『将棋世界』日本将棋連盟、1983年5月号、115頁。
- ^ 静岡県では芹沢の姓名は相当に多い県である。
- ^ これは単なる愛称であり、芹沢は名人位への挑戦歴・獲得歴はない。
- ^ 芹沢は1987年12月に逝去したため、初期のみ出演。
- ^ ゲームの開発はコアランドが担当した。
- ^ 業務用からの移植作品。アーケード版では縦画面構成だったが、家庭用版は横画面構成に変更されている。またクレジット画面・対局終了後の段位判定(家庭用では芹沢八段による段位判定の機能は無い)時に表示される芹沢八段(風)の似顔絵イラストはカットされている。ゲームの操作設定もアーケード版は「1レバー・4ボタン」仕様であったが、家庭用版は「1レバー・2ボタン」仕様に変更した。またアーケード版にあった制限時間・スコア設定も無く、相手を詰むまでゲームオーバーにはならない「フリープレイ設定」となっている。アーケード版のタイトル画面に表示されていた「王将」の文字は無くなり、家庭用は将棋の駒(画面上から王・香・角・飛・金・銀・馬・竜・歩)がタイトル画面に表示される。当時の価格は4300円だった。
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