紀州弁 文法

紀州弁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 09:22 UTC 版)

文法

動詞・形容詞

和歌山県中部の、日高郡を中心に御坊市田辺市付近の地域に、動詞の二段活用を残す。全ての一段動詞が二段活用になるわけではなく、語により、地域により、異同がある。「あたくる(乱暴する)」「おらゆる(支える)」のような共通語にない動詞は二段活用が残りやすい[19][20]

一方で、伊都郡橋本市を中心に、奥吉野方言淡路弁のように、一段活用動詞のラ行五段活用化(未然形のア段接続)が見られる(例:見ん→見らん、食べん→食べらん)[21]

形容詞の連用形にはウ音便が起こるが、「高い」のように語幹末がア段の場合、「たこ(ー)ない」「たこ(ー)なる」のようにオ段の場合の他、「たか(ー)ない」のようにア段の場合もある[22]

存在動詞と継続態・結果態

存在を表す動詞として、共通語では生物に「いる」、無生物に「ある」を使うが、紀ノ川沿いの平野部や和歌山県沿岸部、三重県南牟婁では生物・無生物に関わらず「ある」で表す[23]。たとえば「先生あるかい」「ここに先生は無いで」などと言う。和歌山県の山間部では、生物には「おる」を使い、ところによっては無生物にも「おる」を使う。一方、生物に「いる」を使う用法が、紀北から次第に広がってきている[24][25]

これと並行して、共通語の「〜している」にあたる表現も「ある」と「おる」を用いた形を用いる。多くの西日本方言では、現在進行中の動作・行為を表す継続に「連用形+おる」、動作・行為の結果が残っていることを表す結果態に「連用形+ておる」の変化した形を用いるが、紀州弁でもこれに対応した形を用いる。実際の状況は、「降る」を例に取るならば、継続態には「降りやる・降っちゃーる・降っちゃる・降ったーる・降ったる・降らる・降りよる・降りょーる・降ってる・降っとる」が見られ、和歌山市・海草郡・那賀郡では「降ってる」が多く、伊都郡では「降っとる」が、有田郡以南では「降りやる」が最も多い[26][27]。また三重県の南牟婁では「降りやる・降りやーる」、北牟婁では「降りよる」を使う[28]。結果態には、「降っちゃーる・降っちゃる・降ってある・降ったーる・降ったる・降ってあら・降ってら・降っとる・降っとら」が使われ、和歌山市・海草郡・那賀郡では「降っちゃーる」が多く、日高郡以南では「降ったーる」が多い[26][27]。三重県の南牟婁では「降ったる・降ったーる・降っちゃーる」、北牟婁では「降っとる」を使う[28]。様々な語形が見られ錯綜しているが、以下のように対応するのを原則としている[26][27]

  • 継続態
    • 「連用形+ある」(降りある→降りやる)
    • 「連用形+おる」(降りおる→降りよる)
  • 結果態
    • 「連用形+てある」(降ってある→降ったーる・降っちゃーる)
    • 「連用形+ておる」(降っておる→降っとーる・降っとる)

「ている」を使うのは新しい語法である。和歌山県紀南の海岸よりの地域には、「思いいる」のように「て」の付かない「いる」だけを使うところがあり、古い語法である[26][27]

(例)「来ちゃある」(=すでに来ている) 「死んじゃある」(=死んでいる)

助動詞

断定
断定には、「や」「じゃ」のほか、珍しいものに「じょ」「で」がある。「じゃ」は山間部の高齢層が中心。
[例]ーじょ あい きんのー とっんじょ。(そうだよ。あいつがきのうとったのだよ。<和歌山市>)[29]
[例]これ わしの はみで。のー ーたんで。(これは私のはさみだ。きのう買ったのだ。<九度山町>)[29]
否定
否定の助動詞には、「-ん」「-へん」「-せん」「-やん」「-らん」があり、「ん」が最も普通に使われる。「やん」は三重弁奈良弁と共通するもので、広く使われるが山間部では少ない。「やん」は五段動詞には付かない。「へん」の接続は、五段動詞では「書く→かけへん/かかへん」、上一段動詞では「見る→めーへん/みやへん」、下一段動詞では「出る→でーへん/でやへん」、カ変では「来る→けーへん/きやへん」、サ変では「する→せーへん/しやへん」。五段動詞にはエ段に付く「へん」があるが不可能の意味にはならず、不可能形は「書かれへん/書けやん/書かれやん」である。「らん」は山間部や伊都郡が中心で、一段動詞の五段活用化とみなせる(例:食べらん)。「へん」がエ段に接続するため、一段動詞の五段化が進む伊都郡では「起きれへん(起きない)」という形が生まれている[30]
使役
使役の助動詞としては、五段活用の動詞には「-す」(例:書かす)、その他の動詞には「-やす」「-さす」が付く(例:見やす/見さす、き(来)やす/こさす、しやす/さす)。「-せる/させる」もあるが共通語としての意識がある。伊都郡では「見らす」のように「-らす」という言い方もあり、一段動詞の五段活用化と言える。二段活用の残る地域では「書かする」「見さする」のように「-する」「-さする」も使う[31]
受身・可能
受身・可能には、五段動詞には「-れる」、それ以外の動詞には「-られる」「-やれる」がある(例:行かれる、食べられる/食べやれる、こられる/きられる/きやれる、せられる/しられる/しやれる/される)。また「れ」の子音rが脱落して「-える」「-らえる」「-やえる」に変化することもある。二段活用の残る地域では「-るる」「-らるる」も使う[32]
可能を表すには、上記の助動詞よりも「行ける」のような可能動詞を使うことの方が多い。また「よー」を使って「よー行く」「よー行かん」で可能・不可能を表すこともでき、「よー」より古い「えー」を使う地域もある。和歌山県新宮市および三重県南牟婁には「-える/えれる」があり、連用形に付く(例:着える/着えれる、しえる/しえれる)[33]
推量
推量に「-やろー」「-じゃろー」「-らしい」を用いる。また過去推量に「-つろー」を山間部を中心に用いる[34]
打消しの推量・意志には「-まい」が使われる。動詞の接続方法は「行く」ならば「いこまい」「いくまい」「いかまい」があり、安定していない。「-んやろ」「-んとこ」のように、別表現も使うため「まい」の使用自体が少ないのも不安定の原因とされている。また「-へん」と融合した「-へまい」も使われる[35]

和歌山県には命令表現と禁止表現だけに用いられる「-んす/さんす」があり、「せんすな」(するな)、「見さんせー」(見なさいよ)のように使われる[36]。田辺市などには、高齢女性が使う「-まってんす/まいてんす/まってん」があり、動詞の連用形に接続する。「-ましてです」の変化とされる[37]。田辺市などでは「です」を「でんす」と言う言い方もある[37][38]

敬語

紀州弁(特に田辺・新宮弁)には他の方言に見られる敬語に相当する言葉が少ない(あるいは存在しない)ことが特徴である。極端に言えば年長者・若輩者、先輩・後輩、会社の上司・部下の関係であっても、格下の人物が格上の人物に対して敬語を使用しないことが慣習として了解されており、それが容認されている。また、敬語を使うことが失礼とされることも多い。これは全国的に見ても土佐弁などでしか見られない珍しい傾向である。小説家の司馬遼太郎は「紀州方言には敬語がない」と著書の中で述べ、紀州では敬語のない平等の思想が古くから根付いており、明治初期に紀州・土佐自由民権運動が起こった理由を、歴史的背景として、上下関係の少ない皆平等思想が古い時代から根付いていた経緯から来たものとして肯定的に評価している[39]

敬語を使用する感覚が少ない傾向から、他都道府県に移住した紀州出身者は会話に苦労するという。近年では義務教育の広まりや他の近畿方言(特に大阪弁)との同化傾向に伴って、場合によって「関西アクセントの共通語」「近畿方言式敬語(「はる」など)」「地元の言葉」を使い分ける紀州出身者も増えてきている。

一方で、紀州弁には古い時代の尊称が現在でも残っていることがあり、その例として「御前(おまえ)」の多用が挙げられる。「お前」は(おまん)もしくは(おまはん=お前様) と発音された場合は親しみを込めた紀州弁の二人称である。「おまえ」と発音した場合も、単なる「君」「あなた」の意味である場合と、日本の他地方と同様の用法の場合がある。 今日の標準語では「御前」と云う言葉はそのような用法ではないため、「おまん・おまはん・おまえ」を他県出身者から和歌山県人が誤解を受けることも多い。

助詞

格助詞・係助詞・副助詞
和歌山県の中部・南部の山間地では、主格の「が」にあたるものに「ん」が使われる[34]。三重県南部では、「が」「は」ともに「や」「あ」と発音されるか、名詞と融合して「海が→うんみゃ」「靴が→くっつぁ」のようになり、「が」と「は」の区別がなくなる[40]。熊野市では「を」も名詞と融合する[41]
方向・場所を表す「へ」の代わりに「い」を用いる[42]
「AよりBの方が良い」のような比較表現で、和歌山県紀北では「Bしか良い」のように「しか」を使う(例:それしかええ(それの方が良い))。一方、共通語の「〜しか」にあたるものには「ほか/はか/ほちゃ」が使われる[43]。三重県南部では共通語同様に「しか」を使う[44]。 
接続助詞
理由を表す接続助詞は、「さか/さかい」を使う。「さかい」は近畿方言で広く使われるもの。三重県南部ではこのほかに「で」「もんで」「よって」も使う[45][46]
終助詞
勧誘表現で「ら」を付けて「行こら」のように言う[47]。三重県牟婁地区では「ら」のほか、待遇表現として目上に「らい」、同等以下に「られ」を使う[48]。和歌山県紀北では、促す意味の「そー」があり、「はよ食べよそー」のように言う。また「そら」「そらよ」となる地域もある[46]
和歌山県では丁寧な文末助詞として、高齢女性を中心に「のし/のーし」が使われる。「のう、申し」に由来する。文末助詞としては最上の敬語で、単独で相槌にも用いられる。ただしこれらを使う地域は、和歌山市を中心に和歌山県北中部の那賀郡・海草郡・有田郡・日高郡(それぞれ山間部以外)と、南部の東牟婁郡海岸沿い・熊野川沿い・三重県南牟婁である[49][50]。これに挟まれた和歌山県南部は用いない。また「のら/のーら」と言う場合もある。一方、「よし」と言う場合があるが、これには敬意はほとんどない。ナ行文末詞は、和歌山県では「なー」は同等以下に用いるのに対し、「のー」は親愛の意が込められる地域が多い[51]。一方、三重県北牟婁では「のー」よりも「なー」の方が上品な物言いである[50]

  1. ^ 楳垣 1962, pp. 12–14.
  2. ^ 楳垣 1962, p. 369-370.
  3. ^ 村内 1982, p. 173.
  4. ^ 楳垣 1962, p. 105.
  5. ^ 村内 1982, pp. 174–175.
  6. ^ 楳垣 1962, pp. 373–374.
  7. ^ 村内 1982, pp. 175–176.
  8. ^ 村内 1982, p. 177.
  9. ^ 楳垣 1962, pp. 377–379.
  10. ^ 村内 1982, p. 176.
  11. ^ 飯豊毅一ほか (1982-1986)『講座方言学』(全10冊),東京:国書刊行会
  12. ^ 遠藤嘉基ほか (1961)『方言学講座』(全4冊),東京:東京堂
  13. ^ 柴田武 (1988)『方言論』東京:平凡社
  14. ^ 平山輝男 (1968)『日本の方言』, 東京:講談社
  15. ^ 加藤和夫 (1996)「白山麓白峰方言の変容と方言意識」『日本語研究諸領域の視点』,323-345平山輝男博士米寿記念会編 明治書院
  16. ^ 楳垣 1962, p. 374.
  17. ^ 山口幸洋「南近畿アクセント局所方言の成立」『国語研究』39号、国学院大学国語研究会、1976年(『日本語東京アクセントの成立』港の人、2003年)
  18. ^ 金田一春彦「熊野灘沿岸諸方言のアクセント」『日本の方言 アクセントの変遷とその実相』教育出版、1975年(『金田一春彦著作集第七巻』玉川大学出版部、2005年)
  19. ^ 村内 1982, pp. 182–183.
  20. ^ 楳垣 1962, pp. 390–391.
  21. ^ 楳垣 1962, p. 391.
  22. ^ 楳垣 1962, pp. 395–396.
  23. ^ 楳垣 1962, pp. 105, 392–393.
  24. ^ 楳垣 1962, pp. 392–393.
  25. ^ 村内 1982, pp. 184–185.
  26. ^ a b c d 楳垣 1962, pp. 393–395.
  27. ^ a b c d 村内 1982, pp. 185–186.
  28. ^ a b 丹羽 2000, p. 29.
  29. ^ a b 『近畿方言の総合的研究』p.407より引用。原典では方言文はカタカナ表記。
  30. ^ 楳垣 1962, pp. 400–403.
  31. ^ 楳垣 1962, pp. 127, 397–398.
  32. ^ 楳垣 1962, pp. 128, 398–399.
  33. ^ 楳垣 1962, pp. 128, 399.
  34. ^ a b 楳垣 1962, p. 408.
  35. ^ 楳垣 1962, pp. 403–404.
  36. ^ 楳垣 1962, p. 400.
  37. ^ a b 楳垣 1962, p. 405.
  38. ^ 村内 1982, pp. 188–189.
  39. ^ 司馬遼太郎著『この国のかたち』(文芸春秋刊)、第1巻152頁。
  40. ^ 楳垣 1962, p. 150.
  41. ^ 丹羽 2000, p. 31.
  42. ^ 楳垣 1962, p. 409.
  43. ^ 楳垣 1962, pp. 408–410.
  44. ^ 丹羽 2000, p. 34.
  45. ^ 丹羽 2000, p. 32.
  46. ^ a b 楳垣 1962, p. 410.
  47. ^ 楳垣 1962, p. 386.
  48. ^ 丹羽 2000, pp. 33–34.
  49. ^ 村内 1982, p. 190.
  50. ^ a b 丹羽 2000, p. 33.
  51. ^ 村内 1982, p. 191.
  52. ^ 朝日放送探偵!ナイトスクープ』の調査より





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