第41回衆議院議員総選挙
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概説
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1996年、村山内閣を引き継いだ橋本内閣は、内政ではバブル経済崩壊後の住宅金融専門会社(住専)の不良債権処理、外交では沖縄県普天間飛行場の返還交渉と米軍用地の強制使用問題が喫緊の課題であった。
1月に召集された第136通常国会で住専特措法は世論の批判を受けつつも成立。普天間飛行場も5年から7年後の返還を目標に合意した。基地の強制使用についても代理署名訴訟について最高裁は上告を棄却。9月13日に沖縄県知事は強制使用手続きの公告、縦覧の代行を進める考えを表明した。
橋本は内閣発足当初の課題が一区切りしたことを受けて解散を決断し、9月27日召集の第137臨時国会の冒頭で衆議院を解散した[1]。
注釈
- ^ 社会党としての獲得議席。
- ^ そもそも重複立候補した候補者自体が少なく、比例復活で当選したのは比例北陸信越ブロックの一川保夫と比例中国ブロックの加藤六月の2名に留まった(後に比例九州ブロックの東順治が繰り上げ当選しているが新進党解党後であり、当選後は公明党に所属した)。
- ^ これ以外にも小選挙区で落選し、辛うじて比例復活で議席を確保した候補者に玄葉光一郎、枝野幸男、古川元久、前原誠司といった、その後の民主党の中枢を担った議員が含まれている。
- ^ 兵庫11区から立候補したが、公示後の10月13日に死去した。
- ^ 重複立候補しなかった惜敗率最高落選者は野田佳彦(新進・千葉4区)、99.86%である。
出典
- ^ 衆議院議長就任に伴い、党籍離脱。
- ^ a b c d e f g h i j k 新進党解党後、新党平和を経て公明党結成に参画。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 新進党離党し、自民党に入党。
- ^ a b 新進党解党後、改革クラブを経て自民党に入党。
- ^ a b c d e f g h 新進党解党後、自由党結成に参画。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 新進党解党後、自由党を経て保守党結成に参画。
- ^ a b c d e f g h i j 新進党解党後、国民の声、民政党を経て民主党結成に参画。
- ^ 副議長就任後、党籍離脱。新進党解党後、無所属の会入党。
- ^ a b c d 新進党解党後、改革クラブ結成に参画。
- ^ a b c 新進党離党後、フロム・ファイブ、民政党を経て民主党結成に参画。
- ^ 新進党解党後、無所属の会入党。
- ^ 新進党解党後、改革クラブを経て民主党に入党。
- ^ a b c d e f g 新進党離党後、太陽党、民政党を経て民主党に入党。
- ^ 新進党解党後、無所属の会を経て無所属。
- ^ 新進党離党後、太陽党、民政党を経て、自民党に入党。
- ^ 新進党離党後、自由党を経て民主党結成に参画。
- ^ 新進党解党後、国民の声、民政党を経て自民党に入党。
- ^ a b 新進党解党後、自由党を経て公明党結成に参画。
- ^ 新進党離党後、太陽党、国民の声、民政党を経て無所属の会に入党。
- ^ 新進党解党後、改革クラブを経て自民党に入党。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 新進党解党後、新党平和を経て公明党結成に参画。
- ^ a b c d e 新進党解党後、国民の声、民政党を経て民主党結成に参画。
- ^ a b c d e f g h 新進党解党後、新党友愛を経て民主党結成に参画。
- ^ a b c d e f g h i j k 新進党解党後、自由党結成に参画。
- ^ 新進党解党後、改革クラブ結成に参画。
- ^ 新進党離党後、太陽党、民政党を経て民主党に入党。
- ^ a b c 新進党解党後、自由党を経て公明党結成に参画。
- ^ a b 新進党解党後、自由党を経て保守党結成に参画。
- ^ a b 新進党離党し、自民党に入党。
- ^ 新進党解党後、無所属(公明党会派)。
- ^ 当選後、公明党に所属。
- ^ 当選後、新・民主党に所属。
- ^ 社民党離党後、民主党に入党。
- ^ さきがけ離党後、自民党に入党。
- ^ 民改連解党、民主党結成に参画。
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