稲荷山古墳 (行田市) 概要

稲荷山古墳 (行田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/29 03:01 UTC 版)

概要

埼玉県第2位の規模の大型前方後円墳である。造営年代は、古墳時代後期の5世紀後半と考えられている。埼玉古墳群中では最初に築造された。

稲荷山古墳は大阪府堺市大仙陵古墳仁徳天皇の陵に治定)と墳形が類似していることが指摘されている。大仙陵古墳を4分の1に縮小すると稲荷山古墳の形に近くなる。また埼玉古墳群の二子山古墳鉄砲山古墳も大きさは異なるものの稲荷山古墳と同じ墳形をしており、やはり大仙陵古墳をモデルとした墳形と見られている。埼玉古墳群以外に大仙陵古墳を縮小した形で造営された古墳としては、奈良県川合大塚山古墳岡山県両宮山古墳などが挙げられる。

規模・形状

  • 墳丘長120.0メートル
  • 後円部径62.6メートル・高さ10.4メートル
  • 前方部幅82.4メートル・高さ9.4メートル(推定)
  • 後円部西側の裾部に(左くびれ部分に)は造り出しがある。
  • 前方部長軸は富士山に向いている。
前方部が失われる前の稲荷山古墳
 
現在の稲荷山古墳(2012年10月)

墳丘は二段に築成されており、葺石が使用された形跡はない。方形をした二重の周濠を持ち、濠の深さは築造当時の地表面から約1.8メートルと推定されている。周濠は通常は空で、水位が上がったときに水が溜まったものと考えられている。

後円部の円頂には埋葬施設の復元模型があり、階段で登れば見ることが出来る。ちなみに、埼玉古墳群内の大型古墳で登ることができるのは、丸墓山古墳とこの稲荷山古墳である。

前方部分は、1937年(昭和12年)に周辺の沼地の干拓工事の際に埋め立て用の土として取り崩された。その後1968年(昭和43年)に埋葬施設の発掘調査、1973年(昭和48年)には周堀の調査が行われ、1976年(昭和51年)に内堀の一部が復元された。しかしこの状態では古墳の保存状態が悪く、見学者には墳丘の形などについて誤解を与える可能性があったが、2003年(平成15年)の復元工事でほぼ修復された。

もともと墳頂部に稲荷社が祀られていたのでこの名があるが、水田中にあったので土地の人は「田山」とも呼んでいた。

晴れた日には100km先の富士山を墳頂部から真正面に眺めることができる。

墳頂(前方部)の全天球画像
(360°インタラクティブパノラマで見る)
墳頂(後円部)の全天球画像
(360°インタラクティブパノラマで見る)

鉄剣

1968年、規模の小さい愛宕山古墳を調査する予定だったが、急遽、半分壊れていた稲荷山古墳を調査。この発掘調査において、壊れていたために盗掘を免れていた後円部分の礫槨(れきかく)から金錯銘鉄剣(稲荷山鉄剣)が発掘された。1978年、この鉄剣の保存処理を行うために、鉄さびを落とす作業中、金色に光る部分を発見。X線検査をしたところ、115文字の金象嵌の銘文が表されていることが判明し、1983年、他の出土品とともに「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」として国宝に指定された。鉄剣や銘文の詳細は、「鉄剣・鉄刀銘文」項や「金錯銘鉄剣」項参照。


注釈

  1. ^ これら出土品は1981年に重要文化財に指定され、1983年に未指定物件を追加のうえで国宝に指定された(昭和56年6月9日文部省告示第114号および昭和58年6月6日文部省告示第81号)。文化庁公式サイトの「国指定文化財等データベース」では1983年の追加指定分が反映されていないため、一部出土品の員数が誤って記載されている。

出典

  1. ^ (斎藤ほか 1980)129頁
  2. ^ a b 小川良祐 「埼玉稲荷山古墳の新情報」『ワカタケル大王とその時代-埼玉稲荷山古墳』 3-30頁
  3. ^ a b 坂本和俊 「考古学からみた稲荷山古墳の出自」『稲荷山古墳の鉄剣を見直す』 24-61頁
  4. ^ (若松ほか2007)33頁
  5. ^ (若松ほか2007)157頁
  6. ^ "稲荷山古墳に「真のあるじ」? 未知の埋葬施設か"(朝日新聞、2016年12月30日記事)。
  7. ^ 橋本博文 「東国における埼玉稲荷山古墳の位置づけ」『ワカタケル大王とその時代-埼玉稲荷山古墳』 31-68頁
  8. ^ 白石太一郎 「五世紀の前方後円墳の動向と稲荷山古墳」『稲荷山古墳の鉄剣を見直す』 109-121頁
  9. ^ 和田萃 「ヲワケ臣とワカタケル大王」『稲荷山古墳の鉄剣を見直す』 122-131頁 なお和田は礫槨被葬者はヲワケ臣の子どもで、鉄剣はヲワケから礫槨被葬者に与えられた、とみている
  10. ^ 小林敏男 「一一五文字の銘文が語る古代東国とヤマト王権」『稲荷山古墳の鉄剣を見直す』 94-108頁
  11. ^ 中野区史. 上巻』。





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