破門 芸道

破門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 18:12 UTC 版)

芸道

芸道の世界において、門弟が家元や師匠の意思により流派から追放されることを破門と呼び、同時に信頼関係が破綻したことによる意味も兼ねる。茶道、華道など芸道には記述が見られるが、落語界にも記述がしばしば見られ、家伝の場合、破門と勘当を同時に行うことがある。

能楽

能楽の世界では、1921年(大正10年)、観世流宗家24世・観世元滋が梅若一門(梅若六郎家、梅若吉之丞家、観世鐵之丞家)を破門にした事件がある(いわゆる観梅問題)。能楽はもともと武家の式楽だったので、江戸時代には幕府や各地の大名家の庇護を受け、各流派はそれぞれ扶持をもらっていた。観世流は江戸幕府の庇護を受けていたので、明治維新後、徳川宗家が駿府に隠棲すると、観世宗家の22世・観世清孝はこれに義理立てして静岡へ移住し、東京は分家の観世銕之丞家の五代目・観世紅雪と初世・梅若実(52世・六郎)が預かる形になった。その間、観世銕之丞家と梅若家は独自に免状を発行するなどの家元同然の活動を行い、観世宗家が東京に戻ってくると、免状発行権の返還を巡って両者は対立するようになる。この問題がこじれて、上述のように破門となった。破門後、梅若一門は新たに梅若流を興したが、その後梅若流も分裂して、最終的には昭和29年(1954年)、能楽協会の斡旋により梅若流は観世流に復帰してこの問題は収束した。

歌舞伎

歌舞伎の世界では、二代目市川段四郎(初代市川猿之助)が、師に無断で『勧進帳』の弁慶を演じたことが勘気にふれ破門となったが、のちに努力が認められて破門を解かれた例がある。近年の例では、四代目坂東薪車が師匠の五代目坂東竹三郎より破門となり名跡を失ったが、その後十一代目市川海老蔵に弟子入りして、四代目市川九團次として再出発した例がある。

落語

落語界においては師弟関係が確立されているが、生活態度や師弟や一門間の芸の方向性などを巡り、師匠の一存によりしばしば破門となる事例が多い。ただし破門後も他の師匠の門に移ったり、色物芸人などに転向するなどして芸能活動を続けることに制限は設けられていない。

  • 1978年に起きた落語協会分裂騒動においては、既に師匠である六代目三遊亭圓生との関係が悪化しており、騒動の際に師匠に従わず落語協会残留を決めた三遊亭さん生、三遊亭好生の両名について、圓生は破門に加えて芸名の強制返却を言い渡した。これにより、さん生は五代目柳家小さんの客分に移り「川柳川柳」に、好生は八代目林家正藏(彦六)の客分に移り「春風亭一柳」にそれぞれ改名した。
  • また、この騒動では十代目金原亭馬生門下であった古今亭志ん駒が落語三遊協会に参加したため、破門されている。ただし、この破門については同じく三遊協会に参加した馬生の実弟である古今亭志ん朝の身を案じた馬生が、志ん駒の人柄を見込んだうえで志ん朝をサポートする意味で送り込んだものとされ、形式的な破門であったとされる。その後、志ん朝は三遊協会からほどなく落語協会に復帰し、志ん駒も志ん朝門下となった。
  • 分裂騒動以降の落語協会の混乱から、立川談志は落語協会を脱退したことで師匠の五代目柳家小さんから破門を言い渡されているが、その談志が創設した落語立川流では「上納金未納」が破門理由として制度化されていた。実際に立川志っ平(のちに十代目桂文治門下を経て柳家蝠丸門下に移り、柳家小蝠)や立川小談林(のちにヴァイオリン漫談家のマグナム小林)などのように、上納金滞納の理由により破門となった弟子も複数人存在する。
  • 落語立川流では他にも、2002年5月に「二つ目への昇進意欲が感じられない」として、談志の直弟子の前座6名(談修キウイ志加吾談号談大談吉)が一斉に破門になる騒動が起きている。この際に前座が1名になってしまい、復帰試験が行われるなどして数名が前座として復帰したが、志加吾と談号は名古屋を拠点とする雷門小福の門下に移っている(志加吾は雷門獅篭、談号は雷門幸福とそれぞれ改名)。落語立川流は昇進基準に厳しいこともあり、特に談志、立川談春一門からの破門者が多くみられる。
  • 落語立川流に所属していた二代目快楽亭ブラックは、金銭問題などから立川流を2005年に自主退会しているが、事実上の破門に近く、師匠の談志が信頼を寄せていた当時立川流顧問の吉川潮の意向が強く反映されたものとされている。ブラックはその後フリーランスの落語家として活動しているが、退会時に所属していたブラック門下の弟子はすべて立川流所属の別の師匠門下に移籍している。
  • 八代目正藏(彦六)に至っては、弟子の初代林家照蔵(のち五代目春風亭柳朝)に対し、破門を言い渡すことが日常茶飯事であったという。同じく弟子であった林家木久扇(初代林家木久蔵)は37回、三遊亭好楽(正蔵門下当時林家九蔵、彦六死後に五代目三遊亭圓楽門下に移籍)は23回破門を言い渡されたという。ただし、彦六の直情的な性格もあり、弟子が失敗をするたびに破門を言い渡されていては、謝ればすぐに許されていたという。
  • 伊集院光の場合は六代目三遊亭円楽(入門当時・三遊亭楽太郎)の門下時代に「三遊亭楽大」として活動中に、伊集院光の名でラジオ番組出演する一方、それが一門に露呈し問題となり、表向きは「破門」と言う形で自主廃業した。しかし当時から伊集院を擁護していた円楽はその後も身内として扱っており、師弟関係も継続した。
  • 笑福亭鶴光の弟子だった嘉門タツオ(当時は笑福亭笑光)の場合は、師匠へ一切報告せず落語以外の新しい仕事を増やし、自身がやりたい事と落語家の弟子と言う立場が乖離し、師匠と仕事観を巡って対立して反旗を翻して破門を言い渡された。鶴光もラジオなどで活躍するタレントでもあったが、鶴光の師匠であった六代目笑福亭松鶴から苦言を呈された(鶴光自身も松鶴から何度も破門を宣告されたことがあった)こともあって、落語家として活動が増えていくとともに、落語家としての仕事観に対しては厳しい一面を見せている。もっとも笑光自身が鶴光やその妻、兄弟子の笑福亭學光に対し反抗的な態度をしばしば取っていた事も破門の一因となっている。
  • 三代目柳亭小痴楽(当時は桂ち太郎)の場合は、度重なる寝坊や遅刻癖が原因で預かり師匠であった桂平治(のちの十一代目桂文治)から破門された。本人は当初は廃業を決意していたが、師匠の平治や仲介に入った三遊亭小遊三などから説得や話し合いを経て、実父である五代目柳亭痴楽の門下に移り、さらに父の死後は柳亭楽輔門下でその後、真打となった。かつての師匠であった文治とは現在も良好な関係が続いている。
同様に文治の門下であった立川志ら門(当時はしゃも治)も言い渡されていた謹慎を破って外出したため破門され、その後立川志らく門下に移籍し、落語家として活動を再開した。志ら門も同様にかつての師匠である文治と(現・師匠の志らくも加わった)落語会を何度か開いているなど、こちらも関係は良好である。

師弟関係の悪化による破門で、関係がその後修復されずに事態が悪化したケースも存在する。

  • 吉原馬雀(前名は三遊亭天歌)の例では、元師匠の四代目三遊亭圓歌による度重なるパワーハラスメントをメディアに告発したことで落語協会を巻き込む形でトラブルに発展、事案の発覚から半年後に破門(師弟関係の終了)となったが、師匠の積年の行為に対して慰謝料を求める民事訴訟を提起する事態に至り、馬雀(元・天歌)側が勝訴している。なお、馬雀は破門のため一時本名名義で協会に籍を置いていたが、その後四代目吉原朝馬門下に移籍し、落語家としての活動を再開している。
この一件が契機となり、両者が所属する落語協会では「師弟関係の問題には直接介入できる立場にはない」としつつも、落語界におけるハラスメント行為を防止する観点から相談窓口設置や講習会の実施などの対策を打ち出す方針を示している[8]

芸能界

師弟間でのその芸事についての考え方が違う場合に異端として破門されることが多いが、ただ単に芸事や生活に対して怠惰であり、流派を名乗るにふさわしくない場合にも破門の適用が考えられる。マネージャーと芸人の仲で交際していた正司敏江・玲児が、師匠の正司歌江から破門された例がこれに該当するが、敏江・玲児は数年で許され元の鞘に納まっている。

宗教的な破門とは異なり、破門されたものの活動が致命的に阻害されないケースも多く、破門された弟子が他の流派に鞍替えしたり、場合によっては独自に活動を再開できることも多い。太平サブロー・シローの場合、松竹芸能から吉本興業への移籍をスムーズにするため表面上破門という形にしただけで、レツゴー三匹との師弟関係は継続している。

他方で、弟子が犯罪を起こし逮捕や書類送検された場合などに見られるが、師匠が破門するのと前後して所属していた芸能団体が除名などの形で処分した場合には、移籍や独立という形での第一線での芸能活動を継続できなくなり、芸を披露する舞台はもとより稽古の場所や同業者間の交遊関係も絶たれる事で、弟子が廃業に追い込まれたり、いわゆる第一線の場に長期間戻れなくなる事も多い。


  1. ^ 『新・佛教辞典-増補』誠信書房。
  2. ^ 下村寅太郎「スピノザとライプニッツ」(『世界の名著30 スピノザ ライプニッツ』中央公論社、1980年)
  3. ^ 黒川知文『ロシア社会とユダヤ人』ヨルダン社
  4. ^ Code of Canon Law - IntraText(カトリック法の該当条文:Can. 1398 A person who procures a completed abortion incurs a latae sententiae excommunication.)”. www.vatican.va. 2020年11月4日閲覧。
  5. ^ 『いのちの福音』Evangelium Vitae
  6. ^ フランシスコ法王、マフィアは「神を冒涜」と批判 殉教神父の追悼ミサで”. AFP (2018年9月15日). 2018年12月1日閲覧。
  7. ^ 「マフィアは破門する」と法王、3歳児犠牲のイタリア南部を訪問”. AFP (2018年6月23日). 2018年12月1日閲覧。
  8. ^ 落語協会「師弟関係の問題には直接介入できる立場にはないものの」ハラスメントめぐる裁判で見解 - 日刊スポーツ 2024年2月6日






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