石井慧
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人物・エピソード
- 中学・高校時代の指導員で、のちに清風学園柔道部監督となる魚澄豊治も石井について、「中学入学時の実力は、同期の部員の中でも下から数えたほうが早かった」と語っている。ちなみに、清風中学校にはスポーツ推薦ではなく、1日平均8時間の猛勉強をこなして、一般入試を受験し合格している(そもそも、清風中学校はスポーツ推薦に該当する入学試験は行っていない)。
- 中学・高校時代には体育教師をしている父・義彦(府立高校教諭・柔道六段、日体大柔道部出身)に、毎日弁当(朝練があるので2個)を作ってもらっていた。現在も人間として尊敬している人物は父だと明言している。
- 母親も体育教師で、父とは体育大学の同級生だったという。母はハンドボールの世界選抜に選ばれた経験があり、妹も水球のGKで全国優勝している選手。スポーツ一家でもある[39]。
- 好きなスポーツ選手としては亀田三兄弟、朝青龍、秋山成勲らを挙げており、理由は「強くて、バッシングを受けている部分に共感するから」としている。秋山は、石井の清風学園の先輩でもある。横綱の朝青龍には2008年1月の場所中に実際に会いに行き、励ましてもらっている。2008年4月の全日本選手権では、朝青龍が石井の観戦に駆けつけた。その後、朝青龍が泥酔暴行事件によって引退が決まった直後、石井が滞在しているハワイのクラブで密会する様子がテレビで報道されるなど親交が深い。同じ大阪出身の亀田興毅とは、同学年で雑誌での対談もあり親交を深め[40]、その後は亀田兄弟の父親である亀田史郎の指導も受けている[41]。
- 柔道家としては小川直也を尊敬していて、高校生時代には小川からのアドバイスが欲しいがために小川がよく顔を出す明治大学の道場を訪れたりしており、そのため現在も小川とは親交がある。石井の北京オリンピックに向けた壮行会も茅ヶ崎市にある「小川道場」で開かれたほか、北京オリンピック後には「橋本真也の『破壊なくして創造はなし』の精神を継いでほしい」との思いから、小川から「真・破壊王」の称号を与えられた[42]。
- 北京オリンピック試合の翌日、日本テレビ『ズームイン!!SUPER』のインタビューで石井は「金メダルは小川道場に寄付します。自分は小川道場の門下生なんで。あるいは、モハメド・アリのように川に捨てます」と発言し、2008年9月28日には小川が主催する小川道場を訪れ、北京オリンピックで獲得した金メダルを寄贈した。寄贈後、石井が大外刈りを披露すると小川は石井の大外刈りを小川の必殺技「STO」にちなんで「STI(スペース・トルネード・イシイ)」と命名した[43]。
- 石井はプロ転向会見にて、目標とする総合格闘家としてエメリヤーエンコ・ヒョードル、ヒクソン・グレイシーとBJペンを挙げている。2008年9月22日にはそのヒョードルと初顔合わせする予定だったが、会見の約2時間前に中止となった[44]。「自分はヒクソンへのリスペクトの塊ですから光栄です。チョー会いたいです」「ヒクソンと一緒に生活したいです。取り入れているヨガとか教えてほしいし、精神面のアドバイスも もらえたらうれしいっス。確かヒクソンは日本に来ると山にこもるんですよね? 一緒に行けたら夢のようです」「ヒクソンに教えてもらえれば、自分はチョー(寝技の実力が)伸びます。ヒクソンの息子になりたい」(東京スポーツ 2008年12月2日販売号より)とヒクソンへの憧れを公言している。2009年には、ハワイのBJペンのジムに出稽古に行った。
- 総合格闘技の存在を知る前はK-1のアンディ・フグやジェロム・レ・バンナらに憧れていた。
- 読書家で、戦国歴史物からイチローやイビチャ・オシムなど、他のスポーツ選手についての著書や発言集に至るまで幅広く読み、心構えやトレーニング方法などを柔道に取り入れる。上杉謙信を尊敬し、一番の愛読書は海音寺潮五郎の「天と地と」。好きな言葉を聞かれた時にも「天と地と」をあげたことがある。
- ZARDや羞恥心の楽曲を好む。フジテレビの『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』にも出演し、アニメソングを歌い世間を驚かせたいとの野望があるという。(同局の『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』にVTR出演した際に語ったもの。)
- 2008年4月の全日本体重別選手権に怪我で出られなくなり、北京オリンピック選考に不利になったことで、気づいたら屋上の上に立っていて死のうと思っていたという(本人談)。
- 北京オリンピック代表選考会のあった4月、石井のライバルでもある棟田康幸、井上康生のもとへ異例のアポなし出稽古にいくが断られた。これで「自信を取り戻した」という。
- 歯に衣着せない自由奔放な発言をすることで有名であり、「(福田康夫首相と握手をして。)すごい純粋さが伝わってきた。腹黒くないからこそ、人気が出ないのかもしれない」[45]「(福田首相(当時)突然の辞任について質問されて)僕は握手しただけで相手のことがすべて分かる。薄々こういうふうになるんじゃないかなと思っていた」「(2008年9月10日に母校・清風学園の朝礼(報告会)にて、人生を生きていくにあたりアドバイスを披露して(2008年9月10日))1つは絶対に保証人にならないこと。2つ目は煙草を吸わないこと。健康や財を失いますから。3つ目はネクタイをきっちり上まで締めること。それに人から安心、尊敬、信頼される人になることです」など多種多様な事柄についてコメントしている。発言の中には板垣恵介の人気格闘技漫画であるグラップラー刃牙のキャラクターの台詞を真似たものもしばしばある(例: 北京オリンピック解団式インタビューにて「オスとして魅力を感じて室伏選手に握手を求めました。でも、僕のほうが握力強かったですね」)
- ネプリーグに出演した際、相手チームの上島竜兵を「かみしまさん」といじって笑いを取るなど番組を盛り上げた。
- しかし、笑いをとるために行った行動や発言がスベってしまうことも非常に多い。公開会見でSRCと本契約を結んだ際には、登場する際に「徹子の部屋」のイントロ曲を流しながら黒柳徹子ふうの頭髪カツラをかぶって登場し、会場に微妙な空気が漂った。2010年11月8日のK-1 WORLD MAX 2010 FINALの試合では一本勝ちを収めたが、入場曲にAKB48のBeginnerを使用した。試合後のリング上でのマイクアピールでは「『持ってる、持ってる』とみんなからいわれていて、この試合が終わってわかりました。自分は話を盛るくせでした」と、野球の斎藤佑樹投手の名言のパロディをしたが、観客にはその意図がまったく伝わらず、会場には気まずい空気が漂った[46]。また、以前からK-1ルール挑戦への意欲を見せていたにもかかわらず、同大会ではなくK-1ルールではなく総合格闘技のDREAMルールで参戦したことや試合前に「K-1ルールに出ないかわりに打撃で勝負します」と公言したにもかかわらず、寝技のみで戦ったことなどに対して、同大会に出場した一部のK-1ファイターが不快感を示し、長島☆自演乙☆雄一郎などは「僕らはK-1に誇りを持って戦ってるのに何でK-1MAXのリングでDREAMの試合をやるのかなって。どうせK-1に出るんなら打撃だけのルールでやればいいやないか。だったら、階級は僕の方が下だけど僕が大晦日に石井選手とK-1ルールでやりますよ」と怒りを露にした。
- 北京オリンピック金メダル獲得翌日の会見で石井は、「世界で一番強い男というのは、フィジカル、メンタル両方強くなくてはいけません。ヒクソン・グレイシーだとかエメリヤーエンコ・ヒョードルだとか、強い選手はまだいます。自分は全然まだまだです」[47] と発言し、その後も「自分にとってオリンピックは踏み台なんで」「次に戦いたい相手はミルコ・クロコップ、エメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラです」、「(目標は)この地球上で、60億分の1になることです(総合格闘技団体PRIDEのヘビー級グランプリのキャッチコピー)」と語るなど、当初から総合格闘技への憧れを隠そうとしなかったため転向が注目されていた。
- 北京オリンピックで金メダルを獲得した後、多くのマスコミが石井の取材を申し込んだが、石井の奔放な発言に懸念を抱いた全日本柔道連盟がテレビ出演をすべて断っており、雑誌取材も『近代柔道』を除いて全て却下された。北京オリンピック後に飛び出した発言の多くは、各種の祝勝会や報告会の場におけるものである。石井は、「喋りでも実力があるところを見せたかった」「(他のメダリストのように)生放送出演したかった」と残念がっているという[48]。
- 2008年11月6日、両国国技館にて行われたダライ・ラマ14世の講演に花束贈呈者として呼ばれていたが、質問コーナーで自分の格闘技の進路について「自分で決めるばかりでなく、時には長いものにまかれることも必要なのでしょうか?」と質問をし、「状況をよく見て考え、最終的には自分で決めるものだと私は思います。」とアドバイスを受けた。
- 2010年1月3日の報道によると、石井は2009年12月31日のプロデビュー戦に先立ち、自身のブログにおいて「負けたら自殺」と豪語していた。しかし試合は石井の完敗となり、公言どおり自殺するのではとファンが心配する中、問題となっていたブログが3日までに削除されていたことが判明した。報道によると、石井は試合前にすでに削除されており、視聴者は安堵や落胆で騒然となった[49]。
- 男性用ブラジャーを使用しているとのこと[50]。
- 上述のように、インタビューで鈴木を挑発する発言をした。その際、「柔道家の先輩に対し、あまりにも礼儀を欠いた発言」だとして、柔道ファンや鈴木側の者から厳しく批判された。挑発された鈴木もインタビューにおいて不快な思いを吐露している。
- 柔術家のアンディコングとは練習仲間でもある。
- ^ 「いまはクロアチア人」日本から消えた石井慧、波乱万丈の10年 Yahoo!ニュース個人、2019年7月3日
- ^ 石井、やっぱり総合格闘技転向 サンケイスポーツ 2008年11月1日閲覧
- ^ 【戦極】石井慧がリング上から朝青龍に対戦表明!?「いつかこのリングに立ちたいです」 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年1月4日
- ^ 【戦極】石井慧がUFC参戦を撤回!プロデビューは『戦極』に決定!! 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年6月1日
- ^ 【戦極】8・2中村和裕、三崎和雄を「殺してやるぐらいの気持ちで倒しに行く」 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年6月4日
- ^ 吉田秀彦×石井慧、ニューイヤーイベント実施で正式決定 BoutReview 2009年9月14日
- ^ 石井慧が無事に国士舘大学を卒業!「斉藤先生には感謝しています」 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年10月5日
- ^ [SRC] Dynamite!! 吉田秀彦、デビュー戦の石井慧にMMAの洗礼 BoutReview 2009年12月31日
- ^ 石井慧、プロ第2戦はハワイの『X1 World Events』でエキシビション・マッチ ミルホンネット 2010年3月18日
- ^ SRC 石井慧、修行先のハワイでひっそりと総合初白星 BoutReview 2010年3月23日
- ^ 石井慧結婚していた!先月19歳女子大生と SANSPO.COM 2010年5月17日
- ^ [SRC] 電撃結婚の石井慧、ニュージーランドでプロ2勝目 BoutReview 2010年5月17日
- ^ 石井慧:やりすぎた… KOと思いきや反則負け 毎日jp 2010年6月6日
- ^ 【DREAM】石井慧が国内初勝利、桜庭和志は生涯初の一本負け! 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月25日
- ^ 【DREAM】9・25石井慧が緊急参戦!国内2戦目の相手はミノワマン 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月22日
- ^ 【K-1MAX】11・8石井慧の相手が急遽変更!プロレスラー柴田勝頼との対戦に 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月7日
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- ^ 石井「マジでむかつく」反則負け 2月ルール改正知らなかった スポーツニッポン 2013年4月16日
- ^ 石井 決勝で反則負け/柔道 日刊スポーツ 2013年4月16日
- ^ 石井に国際柔道連盟から六段 「GENOME27」前に朗報 スポーツニッポン 2013年7月20日
- ^ 石井慧 準々決勝で高橋徳三に反則負け 日刊スポーツ 2014年5月5日
- ^ “北京五輪金メダル・石井慧が引退 約14年のプロ格闘家生活で体が悲鳴「ここが潮時かな」と決断”. 東スポWEB. 2024年3月4日閲覧。
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- ^ 柔道・石井慧、小川道場に金メダル贈る 産経新聞 2008年9月29日付
- ^ 石井ガックリ…ヒョードルと対面できず スポーツナビ
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- ^ 石井しゃべりも“黒帯”でもTVなし 日刊スポーツ 2008年8月27日付
- ^ ガジェット通信-「負けたら自殺」と豪語していた石井慧がサイトとブログを消して逃亡!?(2010年1月3日)
- ^ 2010年7月7日『ザ・ベストハウス123』でコメント。
- ^ “紫綬褒章の受章者”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年11月2日). オリジナルの2013年5月16日時点におけるアーカイブ。 2023年3月5日閲覧。
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