牟婁郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/23 03:28 UTC 版)
近世
- 所属町村の変遷は西牟婁郡#郡発足までの沿革、東牟婁郡#郡発足までの沿革、南牟婁郡#郡発足までの沿革、北牟婁郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
近代
呼称
鎌田純一によると「ムロ」とは神のこもる地との意味であるとする[6]。
和名類聚抄によると同名の地域が、大和国の葛上郡牟婁郷(現:奈良県御所市室)に存在した。
古代の朝鮮半島西部(現:全羅道高敞郡・霊光郡・務安郡付近)には当時の倭人の活動圏内に牟婁と呼ばれる同名の地域が存在しており、日本書紀では百済への任那四県割譲事件(西暦512年)において四県のうちのひとつとして牟婁県の地名が記述されている[7]。また、西暦414年に建立された広開土王碑には、396年に広開土王が倭国百済軍を破り、高句麗領とした地域として牟婁城・古牟婁城の地名が刻まれている。
脚注
固有名詞の分類
- 牟婁郡のページへのリンク