浅丘ルリ子
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人物
性格は姉御肌で、青春映画全盛期だった当時の日活において後輩の男優と女優に対する躾が厳しいことでも有名だった。特に高橋英樹はデビュー当時より教育係であった浅丘に散々世話をかけ、そして弟分のように可愛がられていた経緯から「ヒデキ」と呼ばれている[1]。
また、大原麗子を実妹のように可愛がっていた。日活時代の後輩でもある松原智恵子も新人時代から数多くもの洋服などをプレゼントされたり、浅丘の自宅に招かれて手料理を振舞ってもらうなど現在まで大変可愛がられていると度々語っており、「ルリちゃんが今でも大好き」だと『徹子の部屋』へ出演時にトーク内で語っていて、2022年1月6日の松原が出演時には黒柳にも内緒で浅丘がサプライズゲストで出演した。熊谷真美も2000年代に入ってから20年に渡って妹の様に可愛がっている。
佐久間良子とはデビュー当時から親友の間柄。後輩で妹分の加賀まりこも旧友で普段から飲食や映画、舞台を観劇に行くなど行動を共にしている仲良しの間柄で「まりことは昔から良くケンカはするが仲が良い(笑)」と『徹子の部屋』2017年4月に近藤正臣と一緒にゲスト出演時に語っている。大空真弓も旧友の一人である。
のちに「歌謡界の女王」と呼ばれた美空ひばりとは裕次郎のホームパーティーで知り合って意気投合し、プライベートでも親交が深く、ひばりからは『信ちゃん』と呼ばれていて大親友だった。
趣味はスワロフスキービーズ細工。自身が身につける物はもちろん、舞台の際は販売もしている。愛煙家でもある。
エピソード
『私の履歴書』によれば、瞬く間にスターとなり、それまで神田の下宿住まいから、多忙のため日活撮影所近くの家を借り、遂にはその家を買って隣の空き地まで増築するほどだった。 その家は、前述のように高橋英樹ら若手俳優らが、毎日夕食をご馳走になりに来るほどであり、「私の収入のいくらが、彼らの胃袋に消えていったか」と、自嘲している。
撮影現場に大御所や先輩と呼ばれる立場の俳優が、約束の時間よりも遅く入ってくることが当たり前の風潮を良しとせず、先輩・後輩問わず厳しい態度で接している。実際に、1時間遅刻をした高橋英樹を楽屋に呼び、「ヒデキ、分かっているわね?」と問いただしたところ、高橋は顔面蒼白で「ルリ子さん、すみませんでした!」と、平身低頭で謝罪した。また、『座頭市』で勝新太郎と共演した際も、2時間以上も遅刻してきた勝を演技中でも許さず、勝が謝罪、許した[1]。
世界の有名スターとの共演
日本のテレビ番組『スター千一夜』のフランスロケで、フランス映画の俳優ジャン・ギャバンが同番組にゲスト出演した際に、石坂と共にギャバンと共演した。浅丘いわく「ギャバンは顔がピンク色で凄くきれいな肌をしていた」と、ギャバンの大ファンで知られる仲代達矢等と同じくギャバンを尊敬している近藤正臣との対談で語った[22]。
1970年2月18日放送のフジテレビの生放送番組『3時のあなた』に出演した際に、映画評論家の淀川長治と国際派女優で知られる山口淑子と共に、映画『ジュリアス・シーザー』の宣伝のために来日したチャールトン・ヘストンとトークをした[23]。
- ^ a b c d e f g 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.58.
- ^ 日本タレント名鑑
- ^ a b c d e f g h i 俳優全集 1980, pp. 17–19.
- ^ a b c d e f 増當竜也 (2016年4月24日). “寅さんシリーズ最多4回マドンナを演じ続けた浅丘ルリ子”. cinemas PLUS (クラップス). オリジナルの2019年12月26日時点におけるアーカイブ。 2020年9月25日閲覧。
- ^ a b 以上は『近代映画』1970年3月号、近代映画社、134-141頁。
- ^ 『別冊太陽 美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事』(平凡社、1999年)62頁
- ^ 『近代映画』(近代映画社、1970年3月号)134-141頁、『別冊太陽 美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事』(平凡社、1999年)62頁。応募者の中には後にデビューする桑野みゆき、久保田紀子、山東昭子、滝瑛子、榊ひろみ、安田祥子、上原美佐もいた。『近代映画(近代映画社、1970年3月号)』134-141頁。
- ^ 『近代映画』(近代映画社、1970年3月号)134-141頁、『別冊太陽 美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事(平凡社、1999年)』62頁、『TVステーション』(ダイヤモンド社、2019年9号)、参照。
- ^ 別冊太陽 美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事』(平凡社、1999年)62頁。
- ^ 『別冊太陽 美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事』(平凡社、1999年)62頁、『TVステーション』(ダイヤモンド社、2019年9号)
- ^ 『浅丘ルリ子が激白! 小林旭と事実婚&離婚の真相』 ZAKZAK 2010年11月12日
- ^ a b c d e f g h 朝日新聞人物データベース
- ^ a b c d 「特集 大人の演技で勝負したい! 曲がり角に来た6人の美男美女スター 悪女をやってみたい 浅丘ルリ子」『月刊平凡』1964年6月号、平凡出版、88頁。
- ^ a b 「勝負作にしたい『愛の渇き』 浅丘ルリ子11年目の意欲」『週刊明星』1965年2月28号、集英社、86-87頁。
- ^ a b 「《芸能》 この人 浅丘ルリ子 『精神的なハダカの役を』」『週刊読売』1966年10月18日号、読売新聞社、34頁。
- ^ 「SCREEN GUIDE 新春映画ガイド」『近代映画』1981年4月号、近代映画社、161頁。
- ^ https://www.allcinema.net/cinema/143329
- ^ 林真理子『RURIKO』
- ^ 『近代映画』1970年3月号、近代映画社、134-141頁。
- ^ “オールタイム・ベスト10 日本映画男優・女優”. KINENOTE. キネマ旬報社 (2014年12月). 2016年9月23日閲覧。
- ^ “小林旭&浅丘ルリ子 コンビ継続誓う”. デイリー (2013年6月28日). 2022年7月22日閲覧。
- ^ 浅丘ルリ子『私は女優』ISBN 978-4-532-16994-7、2016年7月、235p-236pでの近藤との対談での浅丘の発言
- ^ 淀川長治『サヨナラ先生の映画歳時記 上』2009年6月10日、近代映画社、64p-65p。
- ^ a b c d e 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ 読売人物データベース
- ^ “「寅さん、取りましたよ」浅丘ルリ子、芸能生活56年目で『旭日小綬章』受章”. オリコンランキング (2011年6月18日). 2016年10月14日閲覧。 “女優の浅丘ルリ子(70)が、文化・芸能で顕著な功績をあげた者に授与される勲章『旭日小綬章』を受章し16日、都内で記者会見を行った。1955年に日活映画『緑はるかに』で銀幕デビューした浅丘は、芸能生活56年の幅広い活動が認められての受章に「真面目にコツコツやってきたことが認められたのかな。大変うれしゅう思います」と感激の面持ち。また自ら“転機”だという映画『男はつらいよ』シリーズで共演した故・渥美清さんに向けても喜びを伝え、「寅さん、取りましたよ。と言いたい。寅さんに会いたいです」と思いの丈を口にした。”
- ^ 放送ライブラリー 番組ID:004453
- ^ ここの岸より - テレビドラマデータベース
- ^ “日活黄金コンビ復活! 小林旭&浅丘ルリ子“日本最年長”デュエット”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2014年7月2日). オリジナルの2014年7月2日時点におけるアーカイブ。
固有名詞の分類
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