沈徳潜 沈徳潜の概要

沈徳潜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/13 09:54 UTC 版)

沈徳潜
『清代學者像傳』より
プロフィール
出生: 1673年12月24日
康熙12年11月17日
死去: 1769年10月6日
(清乾隆34年9月7日
出身地: 蘇州府長洲県
職業: 文人・学者
各種表記
繁体字 沈德潛
簡体字 沈德潜
拼音 Shěn Déqián
ラテン字 Shên3 Tê2ch'ien2
注音二式 Shěn Déchián
和名表記: しん とくせん
発音転記: シェン・トーチェン
テンプレートを表示

略歴

卓越した才を持ちながら官途に恵まれず、1739年乾隆4年)、67歳にしてようやく進士に挙げられた。乾隆帝は称して老名士となし、召して歴代の詩の源流昇降を論ぜしめ、大いにこれを賞賛した。礼部侍郎に抜擢されたが、寄る年波には勝てず、帰郷を願い出て許された。その後、銭陳群等とともに文学サロン香山九老会に関与し、大老と称せられた。乾隆帝は自作の「懐旧」詩に沈徳潜と銭陳群とを並び称して「東南二老」とした。数え年97まで長命し、卒するに及んで太子太師の称号を贈られた。

その詩は格律にすこぶる厳密で「淳古淡白」と言われ、王士禎の「神韻説」・袁枚の「性霊説」とともに当時の詩壇の一角を形成。格律を重視するところからとりわけ性霊説とは鋭く対立した。

著作に『五朝詩別裁集』『古詩源』『唐宋八家文読本』『帰愚詩文鈔』等がある。『五朝詩別裁集』のうち、唐朝の部に当たる『唐詩別裁集』は『唐詩三百首』の祖形となったことでも知られる。『帰愚詩文鈔』は自作の詩文集。




「沈徳潜」の続きの解説一覧




沈徳潜と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「沈徳潜」の関連用語

1
性霊説 デジタル大辞泉
94% |||||

2
唐宋八家文読本 デジタル大辞泉
76% |||||

3
格調派 デジタル大辞泉
76% |||||

4
デジタル大辞泉
70% |||||




8
30% |||||

9
16% |||||

10
12% |||||

沈徳潜のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



沈徳潜のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの沈徳潜 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS