楢崎龍 お龍の写真について

楢崎龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/27 00:17 UTC 版)

お龍の写真について

現存するお龍の写真は、明治37年(1904年12月15日付「東京二六新聞」に掲載された晩年のものが唯一である。この写真は、お龍宅を訪ねて聞き書き(『反魂香』、『続反魂香』、『維新の残夢』)を著した安岡秀峰が撮影したもので、明治33年(1900年)に雑誌『文庫』に掲載された『続反魂香』の末筆で掲載を予告していたものである[53][注釈 9]

『続反魂香』の末筆で安岡が「現今のお良婦人は、今回を以て初めて写真したるなれば、是おそらく天下の絶品ならむ」[53]と述べており、これが正しければ、お龍の若い頃の写真は存在しないことになる。

ところが、昭和54年(1979年)に近江屋井口新助家のアルバム(中井弘旧蔵写真アルバム)から発見された女性の立ち姿の写真が公表され[54]、また、『セピア色の肖像 幕末明治名刺写真コレクション』(井桜直美著、朝日ソノラマ、2000年)に掲載された椅子に腰かけた女性の写真もお龍の写真とされた。二枚の写真は一見して同一人物のもので、浅草大代地の内田九一の写真館で撮影されたことが判明している。

新たに発見された写真には否定的な意見も多く[55][56]、真影か否かは判然としなかった。平成20年(2008年)に高知県立坂本龍馬記念館警察庁科学警察研究所に鑑定を依頼したところ、座り姿の写真と晩年の写真とをスーパーインポーズ法により比較した結果、「同一人物の可能性がある」との鑑定結果が出された。

しかしながら、これは平成8年(1996年)10月10日に「ソニー坂本龍馬研究会」の釜谷直樹が『お龍二枚の写真』として画像分析した時の方法と全く同じであり、この時も「コンピューターによる画像処理とその結果」を報告書にして、作家で龍馬研究家の宮地佐一郎に提供されている。この時は全身像の写真を左右反転して拡大し、顔の傾きなどを晩年の真のお龍の写真と同じように修正して、二枚の写真を比較検討しており、このやり方は科学警察研究所と全く同じ方法である。

そして、科学警察研究所は「顔の輪郭と耳、目、口などの配置は二枚の写真のものはきわめて似ている。これらの写真からは同一人物の、若い日と晩年のものであるといっても特に矛盾は生じないように思われる」として、「両者は同一人物と判定できうるもの」と結論付けているが、これも元慶應義塾大学理工学部准教授の高橋信一の研究により、鑑定方法として間違っていると指摘されている[57][58][59][60][注釈 10]

このような経緯で、それまで座り姿の写真が「若き日のお龍の写真」として扱われるようになっていたが、科警研の人物比定方法に問題があったため[61]、この写真はお龍の写真ではないと結論付けられた[注釈 11]。また、木戸孝允伊藤博文の愛人だった江良加代ではないかとする説もあるが、これも誤りである[62]

平成25年(2013年)、日本軍装研究会の平山晋が都内の古書店で、若き日のお龍とされた女性と同じ人物が写された名刺判写真を発見した。平山が発見した写真に写る女性は、座り姿の写真と同じポーズを取っており、片手の位置が違うだけの同一人物であるため、このことからも「若き日のお龍の写真」はお龍とは別人の写真であることが判明した。さらに、全身像の写真についても、他の複数の女性とコラージュされた名刺判写真が存在し、この写真の裏書には、この女性について「土井奥方」と記されており、のちに土井子爵家の妾となった女性であることまでは判明している。また、これ以外にもこの女性の写真と同じ写真が数点見つかっている[63]


注釈

  1. ^ 小松清廉が先であるという異論もある[1]
  2. ^ 阿井景子 『龍馬と八人の女性』ではこの説について否定的なスタンスを取っている。
  3. ^ 将作は安政の大獄で獄死したとされていたが、近年では赦免後に病死したことが明らかになっている[3]
  4. ^ 慶応元年9月9日付書簡(原文「女曰ク、殺し殺サレニはる/″\大坂ニくだりてをる、夫ハおもしろい、殺セ/\といゝけるニ、(後略)」[4]
  5. ^ 慶応2年12月4日付書簡(原文「此龍女がおれバこそ、龍馬の命ハたすかりたり」[19]
  6. ^ 鈴木かほる『史料が語る坂本龍馬の妻お龍』ではこの話の出所となった戦前の新聞記事には事実関係の誤謬が多い(お龍より5歳下の松兵衛を「松兵衛老人」としていたり、造船業の実業家であったと記されているなど)として否定的である。
  7. ^ 松兵衛の除籍簿写に「楢崎て以(貞)ノ孫入籍/養嗣子松之助/明治七年八月十五日生」とある[41]
  8. ^ 原文「龍馬が生きて居つたなら、又、何とか面白い事もあってせうが」[45]
  9. ^ 実際に写真が公開されたのは明治37年の「東京二六新聞」であり、また、安岡秀峰名義で公表されたのはお龍が死去した際の明治39年1月15日付の「万朝報」である。
  10. ^ 2008年の科学警察研究所の鑑定書では、正確には「別人と判定するに足る形態学的相違点は認められない」「両者を同一人と判定する上で有効な形態学的類似所見が散見される」と記されており、最終的に「同一人の可能性がある」と結論付けている。
  11. ^ 鈴木かほる「龍馬が愛した女たち-お龍を中心に-」(『坂本龍馬伝』、新人物往来社、2009年掲載)では「警察庁科学警察研究所による確たる検証結果が得られなかった」とコメントしている。

出典

  1. ^ a b 「日本初の新婚旅行は小松帯刀?通説“龍馬”に異論登場」2008年10月16日付読売新聞
  2. ^ 阿井 2005, pp.209-212
  3. ^ 『坂本龍馬歴史大事典』p.98
  4. ^ 『龍馬の手紙』p.142
  5. ^ a b c 慶応元年9月9日付書簡(『龍馬の手紙』p.133-146)
  6. ^ 「続反魂香」(坂本 2010, pp.79-83)
  7. ^ 鈴木 2007, p.36
  8. ^ 鈴木 2007, p.34
  9. ^ 『坂本龍馬と海援隊』p.84
  10. ^ a b 坂本 2010, p.86
  11. ^ 鈴木 2007, p.40
  12. ^ 『反魂香』(一坂 2009, pp.48-49)
  13. ^ 『千里駒後日譚』(坂本 2010, pp.101-102)
  14. ^ 『反魂香』(坂本 2010, pp.103-105)
  15. ^ 坂本 2010, p.188
  16. ^ 『千里駒後日譚』(坂本 2010, pp.111-113)
  17. ^ 『芸西村の歴史を綴る』、門脇鎌久、芸西村教育委員会、2016年、P39
  18. ^ 『龍馬の手紙』p.237-243
  19. ^ 『龍馬の手紙』p.257-258
  20. ^ 『反魂香』(一坂 2009, p.94)
  21. ^ 慶応2年12月4日付書簡(『龍馬の手紙』p.257-265)
  22. ^ 『反魂香』(一坂 2009, pp.89-103)
  23. ^ 『坂本龍馬歴史大事典』p.146
  24. ^ 鈴木 2007, pp.74-77
  25. ^ 慶応3年5月28日付書簡(『龍馬の手紙』p.364-370)
  26. ^ 坂本 2010, pp.137-139
  27. ^ 『阪本龍馬の未亡人』(鈴木 2007, pp.109-110)
  28. ^ 『反魂香』(鈴木 2007, pp.89-91)
  29. ^ 『千里駒後日譚』(坂本 2010, pp.139-140)
  30. ^ 阿井 2005, pp.184-187
  31. ^ 『千里駒後日譚』(鈴木 2007, p.245)
  32. ^ 『反魂香』(鈴木 2007, pp.193-194)
  33. ^ 鈴木 2007, pp.121-122
  34. ^ a b 『反魂香』(鈴木 2007, pp.123-124
  35. ^ 『続反魂香』(鈴木 2007, p.127)
  36. ^ 『実話雑誌』(鈴木 2007, pp.130-131)
  37. ^ 鈴木 2007, p.131
  38. ^ 『反魂香』(一坂 2009, p.176)
  39. ^ a b 鈴木 2007, pp.132-136
  40. ^ 安岡秀峰『阪本龍馬の未亡人』(鈴木 2007, p.258)
  41. ^ a b 鈴木 2007, pp.128-131
  42. ^ 阿井 2005, p.190-191
  43. ^ 『坂本龍馬伝』p.116-117
  44. ^ 『千里駒後日譚』(一坂 2009, p.203)
  45. ^ 『千里駒後日譚』、(鈴木 2007, p.250)
  46. ^ 『雑誌実話』(鈴木 2007, pp.143-144)
  47. ^ 阿井 2005, pp.196-197, p.200
  48. ^ 鈴木 2007, pp.154-157
  49. ^ 坂本 2010, p.151
  50. ^ 明治37年12月15日「東京二六新聞」(鈴木 2007, p.21, 155)
  51. ^ 鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p.147
  52. ^ 『海軍夜話』
  53. ^ a b 『続反魂香』(鈴木 2007, p.220)
  54. ^ 昭和57年12月22日付高知新聞
  55. ^ 鈴木 2007, pp.22-26
  56. ^ 阿井 2005, pp.205-212
  57. ^ 『若い日の「お龍さん」写真は本物? 警察庁科警研が鑑定』(2008年5月15日付読売新聞)
  58. ^ 『やっぱりお龍さん? 写真の女性、龍馬の妻の「可能性」』(2008年5月16日付朝日新聞)
  59. ^ 『お龍:異論あった若い写真「別人の根拠なし」』(2008年5月15日付毎日新聞)
  60. ^ 『若き日の龍馬の妻と「同一人の可能性」科警研』(2008年5月15日付産経新聞)
  61. ^ 森重和雄「古写真探偵 龍馬が愛したおりょうさん」(『歴史通』2011年7月号掲載)
  62. ^ 坂本 2010, pp.173-178
  63. ^ 平成26年1月5日付読売新聞


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