桂ざこば (2代目)
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賞歴
得意とする噺など
噺のスタイルは「朴訥」。
子は鎹、らくだ、お玉牛、崇徳院、一文笛、肝潰し、厩火事、遊山船、強情、天災、坊主茶屋、不精の代参 などを得意とする。
枕には定評があり、桂枝雀は生前「ざこばのマクラなぞは、もうマクラだけで、えら(すごく)落語(そのもの)でっしゃないか」と評していた[21]。枕だけをまとめた「ざこばのざっこばらん」という演目もある[21]。
人物
米朝一門の中では桂枝雀死後、実質的に弟子筆頭として、桂南光とともに米朝の存命中は補佐する形で一門の運営を主導しており、米朝没後もその地位は変わっていない(ざこばの兄弟子月亭可朝は他の一門のメンバーと別の事務所に所属していたこともあり、生前に米朝一門の運営に直接関わらなかった)。ざこばと南光は米朝一門の大半が所属する米朝事務所の専務取締役(ざこば)・常務取締役(南光)である。
好きな人物への思いやりが強く、2004年の自身の弟子である桂喜丸の告別式やお別れの会などでの泣き様は尋常ではなかった[30]。2016年1月に死去した3代目桂春團治の「お別れの会」でも泣き崩れる姿が報じられている[31]。一時確執のあったやしきたかじんについても同様であった(詳細は後述)。泣くことに関しては、サンケイホールでの独演会(第1回)の際、出鼻に「皆に泣く泣くといわれたから、私は泣きまへんで」と言いながら、直後に「こんなにたくさんの人が来てくれはって」と泣いた逸話もある[21]。
裁判員制度には否定的なスタンスであり、「たかじんのそこまで言って委員会」などで制度を強く批判している。
趣味はギャンブル(カジノ)でよく海外に訪れる。またオーストラリアに訪れた際は現地で競走馬をセリで落とし「チョウマル」と名付けデビューも果たしている。
トイプードルを2匹飼っている。
桂吉朝がざこばに電話をした際、落語家の物真似が得意な吉朝は、いたずら心を出して桂春團治の声色を使った。ざこばはすっかり春團治からの電話だと信じ込み、吉朝の物真似だと知るや「洒落んならん」と激怒した。もっともざこばは、桂米二に同じ手を自らも試みた[32]。また吉朝が桂吉弥を弟子に取る際には、高学歴者への敵愾心もあり「我々の税金で国立大学(引用者注:神戸大学教育学部)に行ったのに、なんで先生にならんねん」と最後まで弟子入りに反対した[33]。ただしざこばも後に同じ大学を卒業した桂そうばを弟子にしている。
発言
出演番組における発言が、問題視されたりマスコミで報じられた以下のケースがある。
- 2009年4月に無期限謹慎が発表されたタレント北野誠に関して、同月14日、自身がレギュラーを務めるABCのラジオ番組「元気イチバン!!芦沢誠です」にて、「北野誠、がんばれよ!」「何を言うたんや北野誠!」とエールを送るとともに「バーニング!」と特定の芸能プロによる圧力を連想させる奇妙な叫び声をあげ、共演の局アナ芦沢誠を凍りつかせたとされる[34][35]。
人間関係
師匠・米朝に関して
米朝の自宅にて内弟子をしていた頃、背中の皮膚病で悩まされ、塗り薬を塗っていたが、薬の悪臭がひどく米朝家のお手伝いさんに嫌がられ「あの子がお使いで買ってきた物は洗わんと病気が移りそう」等と言われていた。ある時に米朝はざこばを手招きし、薬をその背中に塗ってくれた。その薬は一向に効かず、改めて別の病院で受けた注射でようやく治ったが、ざこばは米朝の思い遣りに感激し恩に感じ、一生付いていこうと心に決めた[36]。
米朝の長男である明(現:5代目桂米團治)がまだ赤ん坊の頃、子守を言いつけられていたざこばは、明を背中に背負ったままキャバレーに入り浸っていたといわれるが、これは兄弟子である月亭可朝のこと。赤ん坊がいた方が店の女の子からモテるというのが理由。また、明が幼稚園の頃、明を自転車に乗せていて転び、額に怪我を負わせた[36]。
襲名に関して米朝は、「米朝」の名をやっても良いが本人が欲しがらないだろうと言っており、ざこば自身も小米朝(現:米團治)が継ぐべきだとしていた。小米朝が落語家になることを米朝はあまり勧めていなかったが、ざこばと枝雀が米朝を口説き落として小米朝の弟子入りが実現した経緯もあり、その当時から米朝の名は小米朝が継ぐものと決めていたようである。結局、小米朝は米朝の名を継がず、5代目桂米團治を襲名した。
その他
笑福亭鶴光とは若い頃には互いの家に泊まりあい、拾った吸い殻をほぐして複数の銘柄を混ぜたタバコを煙管で吸ったり、寒いときに暖房代わりにヘアドライヤーで互いの体を温め合ったりした仲だった[37]。ただ、前記の「オールナイトニッポン」の件では鶴光は「しばらく朝丸さんに会うのが気まずかった」と記している[19]。
やしきたかじんとは、1988年6月の「ナイトinナイト(ABC)」収録中、待ち時間の長さに腹を立てたざこばが、司会のたかじんと口論の末、本番中に帰ったことに始まり、約5年に渡り犬猿の仲であった。1993年2月、たかじん司会の「たかじんnoばぁ~(読売テレビ)」でざこばがゲストとして出演。たかじんと酒を酌み交わしながら、激しく本音をぶつけ合った。その結果、2人は仲直りすることに成功。以来たかじん司会の番組で共演するようになる。だが、2014年1月にたかじんは逝去する。同年2月に放送された「たかじん追悼スペシャルそこまで逝って委員会」(読売テレビ)に、ざこばが出演し、前述の和解のVTRが流された後、号泣していた[38]。
- ^ a b c d e “桂ざこば|米朝事務所”. 米朝事務所. 2013年1月15日閲覧。
- ^ a b c d 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、54頁。
- ^ a b c d 戸田、2014年、p.252 - 253
- ^ 桂ざこば、2013年、pp.68 - 72
- ^ 桂ざこば、2013年、p.73
- ^ a b c 戸田、2014年、p.254
- ^ “桂 ざこば”. 株式会社タレントデータバンク. コトバンク. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月17日閲覧。
- ^ 桂ざこば、2013年、p.17
- ^ 雑誌『醸界春秋』1999年1月15日号に掲載
- ^ 戸田 2004, pp. 220–221, §7「阪本俊夫さんに聞く」.
- ^ 「米左」の高座名は、1984年に米朝に入門した弟弟子に与えられた。
- ^ ざこば自身は2013年の著書で、朝丸の名が売れるようになってから「名付け親」を自称する人物の噂を耳にして米朝に尋ねたところ、米朝は周囲の誰かの発案と認めたものの「そやけど今さらそんなこと、どうでもエエがな」と詳しい内容は教えられなかったと記している(桂ざこば、2013年、pp.31 - 32)。
- ^ “桂ざこば 初舞台は拘置所で爆笑の連続”. デイリースポーツ (2015年8月16日). 2015年8月17日閲覧。
- ^ 戸田、2014年、pp.255 -257
- ^ a b 戸田、2014年、pp.264 - 265
- ^ 戸田、2014年、p.289
- ^ 戸田、2014年、p.296 - 297
- ^ 戸田、2014年、p.350
- ^ a b c 笑福亭鶴光『つるこうでおま!』白夜書房、2008年、pp.98 - 99
- ^ ラジオの残響 (川野将一・著、2021年6月20日発行 双葉社)p.572 - 585「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」
- ^ a b c d e f 戸田、2014年、pp.439 - 440
- ^ a b c 戸田、2014年、pp.489 - 491
- ^ 産経新聞2006年7月27日の記事「桂ざこば、60歳でマスコミ引退し落語家に専念」より
- ^ “桂ざこば休演のお知らせ”. お知らせ. 米朝事務所 (2017年5月28日). 2017年5月28日閲覧。
- ^ “お知らせ 大阪松竹座公演『銀二貫』桂ざこば 休演のお詫びとお知らせ”. 松竹株式会社 (2017年5月28日). 2017年5月28日閲覧。
- ^ “桂ざこば、脳梗塞入院にエールの声続々 「そこまで言って委員会」映像で心配の声”. J-CASTニュース (2017年5月28日). 2017年5月28日閲覧。
- ^ “桂ざこば 舞台復帰で涙「泣かへんぞ、って言うたのに」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2017年7月29日) 2017年7月29日閲覧。
- ^ “桂ざこば「そこまで言って委員会」にサプライズ登場 1日に退院したばかり”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年8月4日) 2017年8月4日閲覧。
- ^ “桂ざこば「そこまで言って委員会NP」に復帰「ホッとしました」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2018年4月28日) 2018年4月28日閲覧。
- ^ 2004年4月18日デイリースポーツ 芸能面 などより。
- ^ “「お師匠はん、大好きでした…」 春団治さんお別れの会、ざこばさん泣き崩れ”. 産経新聞. (2016年1月26日) 2016年1月30日閲覧。
- ^ 『わかってぇなぁ! 桂ざこばのざっこばらん2』(KKベストセラーズ)第1章「犬も食わない!尽きない話」
- ^ 桂米朝『米朝よもやま噺』朝日新聞社、2007年、pp.176-177
- ^ “局アナも凍りついた…桂ざこば“北野誠”に禁句エール” (2009年4月15日). 2009年4月15日閲覧。
- ^ “「バーニング!」桂ざこば ラジオで北野誠にエールも憶測呼ぶ不規則発言” (2009年4月15日). 2009年4月15日閲覧。
- ^ a b 『桂ざこばのざっこばらん』(KKベストセラーズ)第4章「フーテン落語家」
- ^ 『つるこうでおま!』p.230
- ^ “桂ざこば、たかじんさん映像に号泣「もう映さんといてや~」”. サンケイスポーツ (2014年1月26日). 2014年12月30日閲覧。
- ^ 『わかってぇなぁ! 桂ざこばのざっこばらん2』(KKベストセラーズ)第5章「どうかよろしゅうに頼んます!」
- ^ “堂々上々 道上洋三が行く 第16回 ゲスト 芸能生活50年 桂ざこばさん”. おはようパーソナリティ道上洋三です (2013年1月11日). 2014年3月21日閲覧。
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