松平乗清 松平乗清の概要

松平乗清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 15:24 UTC 版)

 
松平 乗清
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 弘治2年3月25日1556年5月14日[1][注 1]
別名 三郎大夫、源四郎[1]、加賀右衛門[2]
戒名 如海常心[4]
墓所 長松院(愛知県豊田市滝脇町)[1]
主君 松平親忠長親信忠清康広忠元康
氏族 滝脇松平家
父母 松平親忠[注 2][5]
兄弟 親長乗元長親、親房、存牛、親光、長家、張忠乗清[5][6]
親正?[7]乗遠[8]
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略歴

西三河一円に敷衍した松平氏の一族。長享元年(1487年)惣領家の松平親忠額田郡麻生城天野氏を攻め滅ぼした際、後継の麻生城主に配されたという[9][10]。後に名字の地である加茂郡松平郷にほど近い滝脇の地に移って家名とした[5][9][11]

後年になると松平清康広忠の横死と駿河国今川氏勢力の伸長のために松平氏の三河における影響力は後退し、尾張国織田氏に味方する諸勢力との摩擦を生じるようになった(三河忩劇)。弘治2年(1556年1月、織田氏に味方する大給松平家との戦いで孫の正乗が戦死し、2か月後には嫡男の乗遠とともに乗清も戦死した(滝脇合戦)[12][11][注 1]。菩提寺である長松院は、父子三代が戦死したためその追善のために建立されたという[8]

脚注

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参考文献


注釈

  1. ^ a b 乗清の没年を大永6年3月19日1526年5月10日)とする説もある[2][3]
  2. ^ 松平乗元を実父とする説もある。

出典



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