村上啓介 経歴

村上啓介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 13:30 UTC 版)

経歴

1955年7月3日、熊本県上益城郡益城町で餅屋を経営する父と喫茶店を経営をする母の元に生まれる。

  • 1968年真和中学校・高等学校に入学する。高校1年生(15歳)の頃エレキギターを始め、校内バンドを組むなどしていた。中学時代は学業において優秀な成績を収めていたが、ギターを始めた頃から徐々に落ちたという。
  • 1974年、商業デザイナーを目指すべく福岡市内のデザイン学院に入学するが、あちこちのライブハウスなどでギタリストとしてライブ参加するなどしていたこともあり、学校課題に追い付けず、1年目の1学期後の夏休みに故郷である熊本に帰ったのち、中退する。
  • 中退後、夜ディスコのハコバンを5年半勤めたのち、母が喫茶店経営をしていたこともあり、ギターなどの音楽機材を全て売り払い、たこ焼き屋を始めるものの、営業時間終了後、ジャズ喫茶ライブハウスに参加する内にギター熱が再発し、3ヶ月で閉店させる。また、その前は車のセールスマンとして務めていた。
  • その後、故郷である熊本にて、昼はパン屋勤務(大谷楽器でギター講師をしていた時期もある)夜はライブハウスなどで弾き語りやスタジオミュージシャンとして九州を中心に活動を行い、数多くのアマチュアミュージシャンと交流を図る。また、その頃の睡眠時間は2~3時間と語っていた[1][2]。また、その間に音楽理論を研究する。
  • 1981年4月12日、村上けいすけ&フレンズとしてヤマハ第21回ポピュラーソングコンテストの九州本戦に初出場する[注 1]結果は、九州本戦にて落選。
  • 1981年10月、村上啓介&ネットワーク[注 2][3]としてヤマハ第22回ポピュラーソングコンテストの嬬恋本大会に初出場。
  • 1983年5月、小森田実&ALPHAのメンバーとしてヤマハ第25回ポピュラーソングコンテストの嬬恋本大会出場、グランプリを獲得し、同年にデビュー。
  • 1984年5月、第27回ポピュラーソングコンテスト出場者の編曲を皮切りに編曲家としての活動を開始する。
  • 1984年10月、小森田実が離脱し、THE ALPHAとして活動を開始。同年12月~1987年1月までCHAGE and ASKAのコンサートサポートバンドとして活動する。
  • 1985年7月1日、ばんばひろふみ「Vのシナリオ〜吠えろライオンズ!〜」の編曲にて本格的にプロとしての編曲家としての活動を開始する。作詞・作曲は、CHAGE and ASKAであった。
  • 1989年4月、THE ALPHA 解散。同年10月にChage淺井ひろみと共にMULTI MAXを結成。シングル「SOME DAY」でデビュー。
  • 1996年、CHAGE and ASKAがMTVアンプラグドに出演する際にギターサポートメンバーとして共に出演、CHAGE and ASKAと共に日本人初のMTVアンプラグド出演となる。同年、MULTI MAX活動休止。
  • 1998年、ソロ活動開始。全国にてライブ活動を展開する。
  • 1999年、1stアルバム「SOLO ONE -ソロdeソロソロ-」をリリース。同年12月、CHAGE and ASKAのカウントダウンライブにMULTI MAXとして参加。
  • 2010年、Chage、久松史奈西川進らを中心としたバンド、チャゲトルズのボーカル・ギターとして活動。
  • 2014年、11月からのライブツアー「Chage LiveTour 2014」でもバンド「1/6(ワン・スラッシュ・シックス)」のメンバーで参加。
  • 2017年、12月8日に5thアルバム「MAGICAL GUITAR MAN」リリース。それを記念したライブをYouTube上で生配信。

*現在 毎月一度のペースで東京都東新宿にあるライブハウス『新宿SACT!』で村上啓介(Vocal.Guitar)惠美直也(Bass.Chorus)関淳二郎(Guitar.Vocal)『あなたが元気で笑っていたら それでいい♪』開催し精力的に音楽活動を展開中。


注釈

  1. ^ 演奏曲は「My Sweet Love Song」村上啓介自身が作詞・作曲を行った。また、フレンズのメンバーには後のTHE ALPHAのメンバー佐藤邦治、高浜輝夫も含まれている。さらに、同大会に出場したロックバンドSouth-Slickersに、後のTHE ALPHAのサポートメンバーを務めることとなる為山五朗がメンバー(担当:ギター)として出場していた。
  2. ^ ネットワークのメンバーは佐藤邦治、高浜輝夫といった後のTHE ALPHAのメンバーも含まれている。後にTHE ALPHAのメンバーとなる後藤郁美は本大会はソロでの参戦となっている。また、後にゲド戦記などの映画音楽を担当することとなる寺嶋民哉もメンバーだった。「大潟瑞生と赤兵衛 / 去りし日の君へ」 (1981年東芝EMIより自主発売)の演奏も担当している

出典

  1. ^ 1983年当時のヤマハ振興会事務所会報誌「ヤマハミュージックシティ」
  2. ^ 1997年1月当時の「月刊カドカワ」
  3. ^ http://hiptankrecords.com/?pid=143317043
  4. ^ 1997年1月月刊カドカワより
  5. ^ 1983年当時のヤマハ振興会の会報誌「ヤマハミュージックシティ」より
  6. ^ 1997年1月の月刊カドカワのインタビューより
  7. ^ CHAGEのラジオより
  8. ^ MULTI MAXのメンバーとして出演したとある音楽番組より
  9. ^ 月刊カドカワのインタビューより
  10. ^ 1997年1月の月刊カドカワのインタビューより
  11. ^ 参考資料: http://www.hat.hiho.ne.jp/luke99/pgm_lukered.htm[リンク切れ]






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