村上啓介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 13:30 UTC 版)
人物
- 妹が二人いる。
- 息子がいる。
- 趣味は、料理、大工、洋画鑑賞である。特に料理は、経歴の通り、たこ焼き屋を経営していたこともあり、たこ焼きは得意料理であり、CHAGEも美味しいと絶賛していた[4]。また、自身のライブではうどんを振る舞うこともあり、そちらも評判が高い。
- ビートルズファンであり、ギタリストとしては、ジョン・レノン及びジョージ・ハリスン。プロデューサーとして、ジョージ・マーティンを敬愛しており、自身のライブでも頻繁に演奏される。また、MULTI MAXのPAやファンなどからはジョン・レノンに声質が似てると呼ばれ、自身も認めている。この他のギタリストとしては、ラリー・カールトン、ジョージ・ベンソン、ジェフ・ベックを敬愛している。
- 10代の頃から目が悪く、50代頃までは、普段眼鏡を掛け、基本的にライブやインタビューなどの仕事ではコンタクトを使用していた。(現在は眼鏡を常に使用している。)
- 中学・高校時代は全寮制の男子校であり、規律が厳しかったため、先生に見つからないように真夜中のギター練習をしていた。
- 中学・高校時代に器械体操部、卓球部に在籍していた。
- 愛煙家である。
- THE ALPHA時代や1989年のMULTI MAXの頃、ファンや音楽関係者などからBOØWYの氷室京介に似てると言われており、MULTI MAXとして初出演時の1989年11月4日のヒットスタジオR&Nにおいて、古舘伊知郎から「もうお分かりですね?矢崎滋(CHAGE)さんと氷室京介(村上啓介)さんです。」と冗談交じりに紹介され苦笑する。
- マルチプレイヤーでもあり、1992年頃からCHAGE and ASKAやMULTI MAXのレコーディングにてギターのみならず、ウクレレ、バンジョー、ベース、パーカッションやプログラマーを担当することがあった。
- CHAGE and ASKAの曲の中で一番好きな曲は、オンリー・ロンリーである。
- あまりMCが得意では無いため、MULTI MAXやTHE ALPHAの頃は喋ることは少なかった。
注釈
- ^ 演奏曲は「My Sweet Love Song」村上啓介自身が作詞・作曲を行った。また、フレンズのメンバーには後のTHE ALPHAのメンバー佐藤邦治、高浜輝夫も含まれている。さらに、同大会に出場したロックバンドSouth-Slickersに、後のTHE ALPHAのサポートメンバーを務めることとなる為山五朗がメンバー(担当:ギター)として出場していた。
- ^ ネットワークのメンバーは佐藤邦治、高浜輝夫といった後のTHE ALPHAのメンバーも含まれている。後にTHE ALPHAのメンバーとなる後藤郁美は本大会はソロでの参戦となっている。また、後にゲド戦記などの映画音楽を担当することとなる寺嶋民哉もメンバーだった。「大潟瑞生と赤兵衛 / 去りし日の君へ」 (1981年東芝EMIより自主発売)の演奏も担当している
出典
- ^ 1983年当時のヤマハ振興会事務所会報誌「ヤマハミュージックシティ」
- ^ 1997年1月当時の「月刊カドカワ」
- ^ http://hiptankrecords.com/?pid=143317043
- ^ 1997年1月月刊カドカワより
- ^ 1983年当時のヤマハ振興会の会報誌「ヤマハミュージックシティ」より
- ^ 1997年1月の月刊カドカワのインタビューより
- ^ CHAGEのラジオより
- ^ MULTI MAXのメンバーとして出演したとある音楽番組より
- ^ 月刊カドカワのインタビューより
- ^ 1997年1月の月刊カドカワのインタビューより
- ^ 参考資料: http://www.hat.hiho.ne.jp/luke99/pgm_lukered.htm[リンク切れ]
固有名詞の分類
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