明暦の大火 概要

明暦の大火

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 00:29 UTC 版)

概要

アルノルドス・モンタヌスの『東インド会社遣日使節紀行』(1669年)の挿絵にある明暦の大火

明暦の大火明和の大火文化の大火江戸三大大火と呼ぶが、明暦の大火における被害は延焼面積・死者ともに江戸時代最大であることから、江戸三大大火の筆頭としても挙げられる。

外堀以内のほぼ全域、天守を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失し、死者数については諸説あるが3万から10万と記録されている。この大火で焼失した江戸城天守は、その後、再建されることがなかった。

関東大震災東京大空襲などの戦禍・震災を除くと日本史上最大の火災であり、ローマ大火ロンドン大火明暦の大火を世界三大大火とする場合もある。

明暦の大火を契機に江戸の都市改造が行われ、御三家の屋敷が江戸城外に転出するとともに、それに伴って武家屋敷・大名屋敷、寺社が移転した。

また、市区改正が行われるとともに、防衛のため千住大橋だけであった隅田川の架橋(両国橋永代橋など)が行われ、隅田川東岸に深川など市街地が拡大されるとともに、吉祥寺下連雀など郊外への移住も進んだ。

さらに防災への取り組みも行われ、火除地[1]や延焼を遮断する防火線として広小路が設置された[1]。現在でも上野広小路などの地名が残っている。幕府は防火のための建築規制を施行し[2]、耐火建築として土蔵造[3]瓦葺屋根[4][5]を奨励した[2]

もっとも、その後も板葺き板壁の町屋は多く残り、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われる通り、江戸はその後もしばしば大火に見舞われた。


注釈

  1. ^ 仏教の世界観では、大地の底に人間界を支える金輪があるという。「金輪際」の語源

出典

  1. ^ a b 森下・山﨑(2013)、3-5頁。
  2. ^ a b 森下・山﨑(2013)、5・6頁。
  3. ^ 近世史料研究会編:『江戸町触集成』第4巻,塙書房,1994。
  4. ^ 東京市役所編纂『東京市史稿市街篇』第7巻。
  5. ^ 近世史料研究会編:『江戸町触集成』第1巻・第4巻,塙書房,1994.
  6. ^ 『むさしあぶみ-明暦の大火(振袖火事) (東日本橋 初音森神社彌宜 田部幸裕編)』初音森神社にて頒布。 
  7. ^ むさしあぶみ_翻刻”. 大船庵. 2023年4月3日閲覧。
  8. ^ 東京市 (1924年). “むさしあぶみ”. dl.ndl.go.jp. 明暦安政及大正の難. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2023年4月3日閲覧。
  9. ^ [1]
  10. ^ 『歴史への招待8』、205-206,233頁
  11. ^ 間瀬久美子「近世朝廷と寺社の祈祷」(初出:『千葉経済論叢』58号、2018年/所収:間瀬『近世朝廷の権威と寺社・民衆』吉川弘文館、2022年)2022年、P172-173.
  12. ^ 浅草〜合羽橋散策コース”. 台東区. 2019年11月24日閲覧。






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