新川県 新川県の概要

新川県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:48 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
新川県公立枇杷小学校の跡にある記念碑(富山県高岡市

概要

1871年(明治4年)、第1次府県統合により、富山県(第1次)全域(かつての富山藩の領域=婦負郡および新川郡の一部)に、金沢県(かつての加賀藩の領域)の礪波郡と新川郡を併せて成立した。県庁は当初富山県時代の富山富山城跡に設置しようとしたが、富山城跡が陸軍省の管轄になっていたため大蔵省管轄の県庁を設置することが出来ず、加えて城外に適当な建物が無かったことや新たに建設をする余裕も無かったことから、魚津の旧加賀藩郡代役所に移され[1]、県名も郡名を取って新川県に改称された。

越中国のうち射水郡のみは七尾県に編入されていたが、1872年(明治5年)に新川県に編入された。これにより、旧・越中国が初めて1つの県となり、現在の富山県の領域と同じになった。翌1873年(明治6年)9月6日、県庁は富山の富山城跡に戻された。これは魚津の県庁が県の北東にあり出張所(富山・高岡杉木新)設置のための費用がかさむことや、魚津庁舎自体が狭いという問題、富山に設置した方が経済面・財政面などで様々な利便性があるなどの理由があったためである[1]

1876年(明治9年)、第2次府県統合により新川県全域が石川県に編入され、廃止された(同9月には福井県嶺北も編入される)。その後、旧越中国内で分県運動が展開され、1883年、越中国4郡が石川県から分離され、富山県となった。

沿革

後年作成された1872年(明治4年)旧12月の行政区画地図における新川県

管轄地域

歴代知事

脚注

[脚注の使い方]

  1. ^ a b c d e f g 『図説 魚津の歴史』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)155 - 156p。


「新川県」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「新川県」の関連用語

新川県のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



新川県のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの新川県 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS