恐山 歴史

恐山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 19:07 UTC 版)

歴史

開山

伝承によれば、開山は862年貞観4年)、開祖は天台宗を開いた最澄の弟子である円仁(慈覚大師)とされている。同年に編纂されたとされている『奥州南部宇曽利山釜臥山菩提寺地蔵大士略縁起』[9]によれば、円仁がに留学中、「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。地蔵大士一体を刻しその地に仏道を広めよ」という夢告を受けた。

円仁はすぐに帰国し、夢で告げられた霊山を探し歩いた。苦労の末、恐山にたどり着いたと言われている[10][11]。その中に地獄をあらわすものが108つあり、全て夢と符合するので、円仁は6尺3寸の地蔵大士(地蔵菩薩)を彫り、本尊として安置したとされている。

近代

恐山は、江戸期以前より地域住民の信仰の対象であったと考えられるが、近代に入ってもそうした信仰は継続していた。この土地の様子を伝える明治期の早い時期の記録の一つとして、作家の幸田露伴1892年(明治25年)に訪れた折に記した、紀行「易心後語」がある。

「易心後語」によれば、寺の西側はすでに現在と同様、白い岩石が露出する荒涼とした風景だったとのことで、露伴は「何と無く不気味なる」「怪異なる此山の景色」などと記している。集まった人々が死者を思い、念仏を唱えたり賽銭を投げたりしていた光景も詳しく記され、「血の池」では出産の折に死んだ女性の、「賽の河原」では死んだ子の供養が行われていたことも知られる。また、露伴は境内に湧く温泉も利用しているが、3年後の1895年(明治28年)に博文館から刊行された『日本名勝地誌』「東山道之部下」によれば、粗末ながら5ヶ所の浴場が設営されていたとのことである。[12]

また、この場所の岩石について、「易心後語」には「岩にさへ赤鬼青鬼等の名ある」としか記されておらず、『日本名勝地誌』も「血ノ池」「畜生道」ほか八大地獄などの称があることを伝えるのみだが、1911年(明治44年)に円通寺が刊行した『奥州南部恐山写真帖』によって、現在も見ることができるような露岩に「鬼石」「剱之山」「修羅地獄」「大王石」といった名前がつけられていたことがわかる。[13]

なお、その後、この宇曽利湖北岸には硫黄鉱山が設けられ、寺の境内も鉱区に含まれていた。寺の東側に下北鉱山区(現在温泉がある場所)、地蔵山西側に宇曽利鉱区、東側に八滝鉱山があり、県道周辺に飯場遊廓などがあった。当時、硫黄は火薬の原料として貴重であり、硫黄の産出は軍事機密に直結することから、高い秘匿措置がなされていた。当初は三井鉱山によって採掘が行われ、後に王子製紙の所有となっていた。『日本名勝地誌』に「本道なるを以て甚だ嶮ならず」と記され、明治期からよい道であったことがうかがえる恐山街道も、鉱石運搬用道路としてさらに整備が進められ、現在は観光の便に益している。

戦後

これらの鉱山は戦後、石油から硫黄分を大規模に抽出する方法が実用化されたことにより、硫黄原石の価値が暴落したため、1969年(昭和44年)に閉山された。現在でも山内には鉱山の遺構が存在し、土木工事の痕跡も残っている。

また、恐山山地は火山活動の影響で鉱物資源が豊富に存在していたため、恐山の硫黄鉱山のほか、川内町の安部城鉱山(金、銀、銅)、陸奥鉱山(金、銀)、葛沢鉱山(金、黄鉄鉱)、西又鉱山(鉛、亜鉛、黄鉄鉱)、大揚鉱山(黄鉄鉱)、大畑町の大畑鉱山(砂鉄)、大間町の青森鉱山(銅)、佐井村の佐井鉱山(チタン)、千国鉱山(マンガン)など多数の鉱山があったが、現在はすべて閉山している。


注釈

  1. ^ 高野山比叡山と並んで、日本三大霊山とされることもある[要出典]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k 恐山(おそれざん)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年10月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 社団法人 むつ市観光協会 青森県下北半島 霊場恐山 本州のてっぺん”. 社団法人 むつ市観光協会. 2017年11月12日閲覧。
  3. ^ 恐山山地(おそれざんさんち)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年10月29日閲覧。
  4. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 2 青森県』角川書店〈1版〉、1985年12月1日。
  5. ^ 気象庁:噴火警戒レベルの説明
  6. ^ 宇曽利山温泉『青森県鉱泉誌』(青森県警察部衛生課, 1920), p151
  7. ^ 恐山の『先祖の聲』『科学より見たる趣味の旅行』松川二郎 (有精堂書店, 1926)
  8. ^ 奥州恐山の三大不思議『真怪』井上円了 (丙午出版社, 1919)]
  9. ^ 1810年(文化7年)に再刊されている。
  10. ^ 『日本歴史地名大系 青森県の地名』(平凡社、1982)、p.270
  11. ^ 『角川日本地名大辞典 青森県』(角川書店、1985)、p.231
  12. ^ 野崎左文『日本名勝地誌』「東山道之部下」、博文館、1895年(明治28年)
  13. ^ 国立国会図書館近代デジタルライブラリー 熊谷全応『奥州南部恐山写真帖』円通寺、1911年(明治44年)
  14. ^ 恐山線時刻表下北交通 2023年11月1日閲覧






恐山と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「恐山」の関連用語

恐山のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



恐山のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの恐山 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS