御匣殿 (西園寺公顕女) 御匣殿 (西園寺公顕女)の概要

御匣殿 (西園寺公顕女)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 04:52 UTC 版)

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御匣殿
絵本『新曲』(江戸時代前期)より御匣殿。明星大学所蔵。
続柄 尊良親王

出生 不明(1300年代初頭ごろ?)
死去 元弘元年/元徳3年(1331年)以前
埋葬 不明(京都市左京区尊良親王墓)
配偶者 尊良親王後醍醐天皇第一皇子)
子女 男子(守永親王?)
家名 藤原北家閑院流西園寺家
父親 西園寺公顕
役職 中宮御匣殿後醍醐天皇中宮西園寺禧子の最高幹部の一人)
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歴史的な生涯は不明な点が多いが、軍記物語太平記』(1370年ごろ完成)では、尊良親王との恋愛物語が描かれた。この伝説によれば、尊良は学問にも和歌にも秀でた高貴な美青年であったが、次期皇太子位を巡る政争に敗れて気鬱になり、詩歌や管弦で心を慰めて、引きこもりがちになった。そして、現実の女性への興味を失って、洞院左大将(一説に洞院公賢)から貰った『源氏物語』の絵の中に描かれた美女に、恋い焦がれるようになってしまった(二次元コンプレックス[注釈 1])。

ところが、尊良はあるとき絵の美人にそっくりな現実の美女を発見し、叔父で歌人の二条為冬の手引もあって、それが御匣殿であることを知った。言い寄る尊良に、はじめ御匣殿は乗り気ではなく、徳大寺左大将(一説に徳大寺公清)という婚約者が既にいたこともあって、尊良につれない態度を取った。しかし、尊良は千通もの恋文を御匣殿に送ったので、御匣殿の側でも次第に心を開くようになった。だが、ある日、政治学の講義を受けた尊良は、中国の名君の太宗は、既に婚約者がいる女性を無理強いして後宮に入れることは決してなかった、という逸話を聞き、自分の行為に恥じ入った。そして心が折れて、恋文を出すのを止めてしまい、一人悩み苦しむようになった。徳大寺左大将は、尊良の惨状を見るに見かねて、御匣殿との婚約を破棄し、恋路を尊良に譲った。晴れて公認の仲になった御匣殿と尊良は、たちまち仲睦まじい夫婦になった、と描かれる。

また、後半では、鎌倉幕府との戦い(元弘の乱)の中で、土佐国高知県)に流された尊良を追って、御匣殿が波瀾万丈の旅をする冒険が描かれる。建武の新政で夫婦再会できた幸せも束の間、数年後に夫が金ヶ崎の戦いで敗死すると、御匣殿は嘆きのあまり数十日のうちに衰弱死したという。しかし、実際には御匣殿は元弘の乱前に死去しているので、この後半部分は完全な虚構である。ただ、おそらく史実でも御匣殿と尊良は円満な夫婦で、それが物語という誇張的表現で反映されたのではないか、という推測もある。尊良親王らを主祭神とする金崎宮福井県敦賀市)は、別名を「恋の宮」と言い、『太平記』の御匣殿との恋愛物語によって、尊良は「睦び和合の神様」として祀られている。

さらに、『太平記』の恋愛譚は、室町時代から江戸時代初頭にかけて流行した幸若舞の題材の一つになり、『新曲』という作品が作られた。江戸時代前期には、『新曲』の場面を描いた絵本や扇なども存在した。


注釈

  1. ^ 中世日本においては、宮廷人にとっての一般知識・古典的教養である『源氏物語』の話は、宮廷における恋愛観にも影響力があった[2]。たとえば、後深草院二条が書いたとされる日記文学『とはずがたり』(14世紀初頭)のうち艶麗な宮廷恋愛模様を描いた前半部分には、展開と和歌の双方で『源氏物語』からの強い影響が見られる[2]。また、日本史研究者の中井裕子は、論文ではなく個人のウェブサイト上のくだけた文脈ではあるが、尊良親王の父である尊治親王(後の後醍醐天皇)が有力公家の娘である西園寺禧子西園寺家邸宅から盗み出した事件について、政治的動機による婚姻ではなく、単に『源氏物語』の熱狂的な愛好家だった尊治が光源氏紫の上の物語を演じたかったのではないか、という個人的動機に求める説を提起している[3]
  2. ^ 史実としては、尊良親王が皇太子位を巡る後継者戦に出て敗れたのは、文保2年(1318年)の邦良親王立太子の時ではなく、嘉暦元年(1326年)の量仁親王(のちの光厳天皇)らとの争いの時[15]
  3. ^ 歴史上では、尊良は御匣殿以外にも、母方の叔母とも関係を持っていたが(『増鏡』「むら時雨」)[5]、御匣殿との交際とどちらが先なのかは不明。
  4. ^ 実際には、御匣殿は、このとき数え21歳弱の尊良とほぼ同じか若干年上だったと思われる(#生涯)。
  5. ^ 「徳大寺左大将」が史実の徳大寺公清(このとき右中将で、中宮権大夫として御匣殿の同僚でもあった)とすれば、この時点で数え15歳ほどで、御匣殿・尊良よりも若い。
  6. ^ なお、尊良親王は容姿の端麗さと和歌の才能から、『太平記』では終始、文弱の印象に描かれ、鎌倉幕府との戦い元弘の乱でも、流刑先の土佐国高知県)に留まったままでいる[26]。しかし、史実の尊良は、元弘の乱の最中に武人としても急激に成長し、流刑先の土佐から脱走し、九州に渡海して倒幕軍の旗頭となり、鎌倉幕府の九州方面軍である鎮西探題の打倒に貢献したと推測されるほどの勇将になっている[28]

出典

  1. ^ a b c d e 藤原 1903, vol. 6, p. 46.
  2. ^ a b * 鈴木, 儀一「「とはずがたり」二条の教養 : 引歌をめぐって」『駒沢国文』第6巻、駒沢大学国文学会、1968年、 10–25。
  3. ^ 中井裕子 (2003年5月3日). “A LIFE OF 後醍醐天皇: 3. 皇太子時代”. きゅーchanのほーむぺーじ. 2020年8月13日閲覧。
  4. ^ 『大日本史料』6編1冊136–137頁.
  5. ^ a b c d e 井上 1983, pp. 231–234.
  6. ^ 長谷川 1996, pp. 451–452.
  7. ^ 鈴木 2007, pp. 46–48.
  8. ^ 鈴木 2007, pp. 57–58.
  9. ^ 鈴木 2007, pp. 60–61.
  10. ^ 森 2007, pp. 245–246.
  11. ^ 井上 1983, pp. 156–161.
  12. ^ 井上 1983, pp. 163, 262.
  13. ^ 森 2007, pp. 53–55, 226–229.
  14. ^ a b c 博文館編輯局 1913, pp. 548–565.
  15. ^ a b 森 2000, §3.1.3 東宮ポスト争奪戦と量仁の立太子.
  16. ^ 長谷川 1996, p. 456.
  17. ^ a b 長谷川 1996, p. 452.
  18. ^ a b c d 森 2007, pp. 98–99.
  19. ^ a b 花園天皇 1986, p. 316.
  20. ^ a b 森 2007, pp. 45–46.
  21. ^ 『史料綜覧』6編907冊142頁.
  22. ^ 長谷川 1996, p. 450.
  23. ^ 長谷川 1996, pp. 450–478.
  24. ^ a b c d e f g h i j 長谷川 1996, pp. 450–454.
  25. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 長谷川 1996, pp. 453–460.
  26. ^ a b 長谷川 1996, pp. 460–478.
  27. ^ 長谷川 1996, pp. 460–477.
  28. ^ 森 2007, pp. 53–55.
  29. ^ a b 長谷川 1996, pp. 477–478.
  30. ^ 金崎宮 -かねがさきぐう- 「歴史と人物」尊良親王と金ヶ崎”. 金崎宮. 金崎宮 (2005年). 2020年6月22日閲覧。
  31. ^ 万代昌子 (2019年4月5日). “金崎宮は「恋の宮」♪ 難関突破も願えるパワースポット?そのご利益とは【敦賀市”. Dearふくい. 2020年6月22日閲覧。
  32. ^ a b c 山本 2017, pp. 35–36.
  33. ^ 山本 2017, p. 35.
  34. ^ 山本 2017, pp. 36–38.
  35. ^ 山本 2017, p. 48.


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