岩崎啓眞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 02:07 UTC 版)
来歴
1963年、京都府出身。京都教育大学附属高等学校卒業。1983年、大阪歯科大学に入学し1987年中退[1]。
大学在学中の1985年頃からCD-iのシステム設計に携わる(1987年頃まで)。それと前後して『Beep』においてライター活動を開始(ドクトルだみお名義、当初はプログラミング記事だったが、のちにゲームレビューページとなる)。
1988年よりハドソンでPCエンジンゲームソフト(主にCD-ROM2・SUPER CD-ROM²作品)のプログラム・演出を担当する一方で、『マル勝PCエンジン』においてPCエンジンソフトのゲームレビューを担当。現役のプログラマーとしての視点で評価し、シューティングゲームびいきではあったが、辛口の採点を行っていた。
1994年からメディアワークスに活躍の場を移し、『電撃PCエンジン』、『電撃PlayStation』、『電撃王』などでゲームレビューやゲームに関するコラムを担当。また、プログラマーであることから電子出版、オンライン事業の立ち上げなどに関わった[2]。
2007年、メディアワークスを退社後、韓国のベンチャー企業でゲーム開発に携わった。
2011年8月にはゲームロフトのニュージーランド支部へ1年契約で移籍した。数本のスマートフォンゲームの制作に携わったのち、日本へ帰国[3]。
2012年12月頃、AppBankGames株式会社へ出向、いくつかのアプリの開発に携わる(2013年10月頃退社)。
その後『NAtURAL DOCtRINE』のマルチプレイヤーのバランス調整に携わる(2013年11月~2014年2月)。
2014年3月からenishに所属し、2015年7月1日付けで執行役員ゲームデザインディレクターに就任[4]するも、2016年8月退社。
2016年8月からはゲームデザインディレクターとして外資ゲーム会社IGGの日本支社G-BOXに在籍している。
2019年5月30日に同人作家であるあいざわひろしと入籍した事をあいざわが公表している。
- ^ 学歴については岩崎啓眞本人のFacebookページを参照した。
- ^ 『電撃PlayStation D』などの雑誌付録のCD-ROM製作も担当していた。
- ^ 海外での活動については、SECCON 2015 x CEDEC CHALLENGE ゲームクラッキング&チートチャレンジ の講師プロフィールを参照した。
- ^ 『enishの人事異動…岩崎啓眞氏が執行役員ゲームデザインディレクターに就任』(プレスリリース)enish、2015年6月26日 。2023年8月26日閲覧。
- ^ 多摩豊『次世代RPGはこーなる!』(電撃ゲーム文庫、1995年)に「岩崎啓真の演出方法」(pp. 85–91)の項目がある。
- ^ 岩崎啓眞 (2010年3月16日). “21年前の事を書いておこうと思ったワケ”. Colorful Pieces of Game. 2023年8月26日閲覧。
- ^ 岩崎啓眞. “お知らせ。名誉毀損などが認定されました”. Colorful Pieces of Game. 2016年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月26日閲覧。
- ^ 岩崎啓眞 (2023年2月15日). “書籍「ゲームの歴史」について(1)”. Colorful Pieces of Game. 2023年8月26日閲覧。
- ^ 谷井将人 (2023年3月16日). “書籍「ゲームの歴史」にツッコミ相次ぐ 「内容が事実と異なる」との声 講談社は「確認中」”. ITmedia NEWS. 2023年8月26日閲覧。
固有名詞の分類
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