岡田陽助
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人物・来歴
1959年(昭和34年)9月25日、東京都に生まれる[1]。
1979年(昭和54年)、窪田晴男、福岡ユタカらと人種熱を結成する。1981年(昭和56年)、人種熱が発展的に解消し、近田春夫&ビブラトーンズとなる。翌1982年(昭和57年)、近田春夫がプロデュースした平山みきのアルバム『鬼ヶ島』(Invitation)に楽曲提供する。1984年(昭和59年)1月、ビブラトーンズは解散する[2]。
1986年(昭和61年)、元ジューシィ・フルーツのベーシスト沖山優司のソロアルバム『HAKONIWA』(ソリッドレコード)のレコーディングに参加する。
1988年(昭和63年)、近田春夫&ビブラストーン(のちのビブラストーン)の結成に参加する[3]。翌1989年(平成元年)、ビブラストーンのテナー・サクソフォーン奏者の佐藤公彦(淡谷三治)らとコミックバンド「MEN'S 5」を結成、今田太郎と名乗る[1]。1993年(平成5年)、電気グルーヴのアルバム『FLASH PAPA MENTHOL』(キューンレコード)のレコーディングに参加する。ビブラストーンは1996年(平成8年)、活動を停止した[3]。
2014年(平成26年)、MEN'S 5は結成25周年を迎えた[1]。
ディスコグラフィ
おもな楽曲提供
- 平山みき『蜃気楼の街』『電子レンジ』 (いずれも作詞近田春夫、編曲窪田晴男) - アルバム『鬼ヶ島』(1982年)
- 桐島かれん『私は私』 (作詞桐島かれん) - アルバム『ディスコ桐島』(1991年)
- ビブラストーン『TVドラマはすべて現実?』 (作詞作曲佐藤公彦・岡田陽助) - シングル (1993年)
- 和久井映見『愛しさのある場所』 (作詞戸沢暢美) - アルバム『愛しさのある場所』(1994年)
- MEN'S 5『“ヘーコキ”ましたね』(作詞淡谷三治、作曲淡谷 'n 太郎 盆帆) - シングル(1994年)
- 副編ブラザーズ『アニメ雑誌の編集は3日やったらやめられない』 (作詞小林治) - シングル (1995年)
脚注
出典
固有名詞の分類
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