小竹 (佐倉市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/24 01:39 UTC 版)
小竹 | |
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— 大字 — | |
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座標: 北緯35度44分21.2秒 東経140度9分47.2秒 / 北緯35.739222度 東経140.163111度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 佐倉市 |
地区 | 志津地区 |
標高 | 44m (144ft) |
人口 (2017年(平成29年)10月31日現在)[1] | |
- 計 | 377人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 285-0853[2] |
市外局番 | 043[3] |
ナンバープレート | 千葉 |
※座標・標高は四神大神付近 |
地理
北は先崎、北東は小竹干拓、東は臼井田、南東は臼井台、南は上座、西はユーカリが丘、北西は青菅に隣接している。
小字
小字は以下の通り[4]。
- 原ヶ作(はらがさく)
- 木戸谷津(きどやつ)
- 米内(こめのうち)
- 大山下(おおやました)
- 埜田(のだ)
- 弁天後(べんてんうしろ)
- 城口(じょうぐち)
- 手操(たぐり)
- 向台(むかいだい)
- 踊場(おどりば)
- 御門屋敷(みかどやしき)
- 中内(なかうち)
- 大原(おおはら)
- 郷(ごう)
- 宮の後(みやのうしろ)
- 登戸(のぼりと)
- 古橋原(こはしはら)
- 扇立(おぎだて)
- 西の作(にしのさく)
- 後谷津(うしろやつ)
- 折元(おりもと)
- 西の台(にしのだい)
- 山崎(やまざき)
- 水神前(すいじんまえ)
- 水神橋(すいじんばし)
- 中橋(なかばし)
歴史
江戸期は小竹村であり、下総国印旛郡のうち。佐倉藩領。村高は「元禄郷帳」400石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに402石余。宝永4年検地帳によれば、反別田36町8反余・畑屋敷14町4反余、名請人56、うち屋敷持43(佐倉市史2)。安政4年「領分村高帳」によれば、小物成として夫役永1貫200文・野山銭金1分が見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。明治6年千葉県に所属。同年西福寺に小竹小学校開校。神社は四社大神など、寺院は真言宗西福寺(印旛郡誌)。明治22年志津村の大字となる[5]。
年表
世帯数と人口
2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
小竹 | 158世帯 | 377人 |
青菅 | 先崎 | 小竹干拓 | ||
ユーカリが丘 | 臼井田 | |||
小竹 | ||||
上座 | 臼井台 |
|
- ^ a b “町丁別人口目次”. 佐倉市 (2017年11月1日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月22日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1397頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 216頁
- ^ 佐倉市内小学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2014-03-23閲覧。
- ^ 佐倉市内中学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2014-03-23閲覧。
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