富司純子
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富司 純子(ふじ すみこ、1945年〈昭和20年〉12月1日[1]- )は、日本の女優・司会者。血液型O型。和歌山県御坊市出身[2]。旧芸名は藤 純子(ふじ じゅんこ)。本名は寺嶋 純子(てらじま じゅんこ)、旧姓は俊藤(しゅんどう)。2007年(平成19年)に紫綬褒章受章[3]。2016年(平成28年)春の叙勲で旭日小綬章を受章[4]。
- ^ a b c d e 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.68.
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- ^ a b c 内野小百美 (2016年10月5日). “【富司純子 あるがまゝに】(2) マキノ監督と出会い女優の道へ”. スポーツ報知 (報知新聞社). オリジナルの2017年1月14日時点におけるアーカイブ。 2017年1月14日閲覧。
- ^ a b c d 石飛徳樹 (2017年1月17日). “人生の贈りもの わたしの半生 女優 富司純子(71)〔9〕 デビューも演技もマキノ監督に導かれ”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 5
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- ^ a b c d #女優富司157、200-201頁
- ^ a b c 岡田茂『悔いなきわが映画人生 東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、154-156頁。ISBN 4-87932-016-1。岡田茂『波瀾万丈の映画人生 岡田茂自伝』角川書店、2004年、167-170頁。ISBN 4-04-883871-7。
- ^ a b c 野村正昭「欲望する映画 カツドウ屋、岡田茂の時代 これが映画だ、カツドウだ! 岡田茂が放った七本のシャシン 『緋牡丹博徒』」『キネマ旬報』2011年7月上旬号、キネマ旬報社、45頁。
- ^ a b c d 今村三四夫 (1971年11月13日). “今週の日記から『藤純子の婚約発表落穂集』”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4
- ^ a b 東映チャンネル5月 『緋牡丹博徒』シリーズ、4ヵ月連続放送スタート!
- ^ “【続報】 北大路欣也、富司純子思い出語る”. 日テレNEWS24 (日本テレビ). (2011-05-1O). オリジナルの2021年1月16日時点におけるアーカイブ。 2021年1月16日閲覧。
- ^ 歴史|東映株式会社〔任侠・実録〕(Internet Archive)、緋牡丹博徒 |一般社団法人日本映画製作者連盟、“任侠映画(にんきょうえいが)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2021年1月16日閲覧。
- ^ 伝説の美女、魅惑の独演 昭和の銀幕に輝くヒロイン 第35弾 藤純子 ラピュタ阿佐ヶ谷
- ^ 渡邊達人『私の東映30年』1991年、148頁。岡田茂『クロニクル東映 1947―1991』 2巻、東映、1992年、44頁。“【訃報】“任きょう映画の父”が87歳で”. tv asahi 芸能&ニュース (テレビ朝日). (2011年5月9日) 2020年9月25日閲覧。
- ^ “"女ケンゲキ映画"時代 剣とエロが見せ場 【大映、東映、松竹が競う】 恥も外聞も捨てて... まかり通る女上位劇画”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 5. (1969年5月28日)
- ^ 笠原和夫『映画はやくざなり』新潮社、2003年、48頁。ISBN 978-4104609017。岡田茂(東映・相談役)×福田和也「東映ヤクザ映画の時代 『網走番外地』『緋牡丹博徒』『仁義なき戦い』の舞台裏は 」『オール読物』、文藝春秋、2006年3月、217-218頁。
- ^ 「映画界のドンが語る『銀幕の昭和史』 岡田茂」『新潮45』2004年9月号、新潮社、204頁。東映株式会社映像事業部(企画・編集)「「品田雄吉の東映映画史」、「任侠映画全盛へ 昭和40年~昭和47年 アンチマイホーム主義と共に…」『東映映画三十年 あの日、あの時、あの映画』東映、1981年、135頁。
- ^ 内野小百美 (2016年10月12日). “【富司純子 あるがまゝに】(6) 9年間で映画出演91本 1日3度の新幹線移動も”. スポーツ報知 (報知新聞社). オリジナルの2017年1月14日時点におけるアーカイブ。 2017年1月14日閲覧。
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- ^ “天海祐希、沢村一樹と“偽装夫婦” 遊川氏脚本の大人のラブストーリー!”. ORICON (2015年8月27日). 2015年8月27日閲覧。
- ^ “青木崇高×松尾スズキ、『曾根崎心中』誕生秘話を創作”. ORICON STYLE (2015年10月26日). 2015年10月27日閲覧。
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- ^ “サマーウォーズ”. マッドハウス. 2016年6月7日閲覧。
- ^ “映画『海獣の子供』芦田愛菜、窪塚洋介の息子・愛流らが声優”. シネマトゥデイ. (2019年3月13日) 2019年3月13日閲覧。
- ^ a b c 富司純子 - オリコンCM出演情報
- ^ a b “【報知映画賞】「るろうに剣心」最多7ノミネート”. スポーツ報知. (2014年11月13日). オリジナルの2014年12月5日時点におけるアーカイブ。 2014年12月1日閲覧。
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- ^ 第38回日本アカデミー賞最優秀賞発表!、日本アカデミー賞公式サイト、2015年1月15日閲覧。
- ^ 日本映画批評家大賞 第31回受賞作品、日本映画批評家大賞公式サイト、2022年3月31日閲覧。
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