大溝藩 文化・産業・人物

大溝藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/25 03:26 UTC 版)

文化・産業・人物

学問

藤樹書院。現在の建物は明治15年(1882年)に再建されたもの。

大溝藩は2万石の小藩ながら「学問の盛んな藩」[29]であったとされる。

中江藤樹と藤樹書院

日本の陽明学派の祖とされ「近江聖人」と尊称される儒学者の中江藤樹は、藩領の小川村(現在の高島市安曇川町上小川)で生まれた[30]。寛永11年(1634年)に帰郷して小川村に私塾を開いて学問を講じ(自宅が手狭になったために、死の半年前に「藤樹書院」が建設される)、慶安元年(1648年)に41歳で没するまで郷里で過ごす[31][32]。正保3年(1647年)に3代藩主分部嘉治に招かれているが、藤樹の死後に大溝藩から弟子たちは解散を命じられた。陽明学を警戒した江戸幕府が大溝藩を通して解散を命じたとする説[注釈 6]があるが[34]、実際に幕府の命令があったかは明確ではない[33]:7。藤樹書院は、中江藤樹の晩年の子である中江常省らによって受け継がれた[35]

高名な陽明学者である大坂町奉行与力・大塩平八郎(大塩中斎)は、藤樹の旧跡をたどることを念願としており、天保3年(1832年)に初めて藤樹書院を訪れた。以後、藤樹書院に『王陽明全集』を寄贈したり、講義を行ったりするなど、大溝の人々とも親交を結んだ。天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱では、小川村の医師志村周次が決起に参加している。大塩の学風に共鳴する者も少なくなかった大溝藩には動揺が走り、大塩の著作が焼却されたり隠匿されたりしたという[36]分部光貞参照)。

堀川学派の高弟たち

京都の古義堂に学んだ古義学派(堀川学派。伊藤仁斎が祖)の高弟も輩出している[29]。安原霖寰(安原貞平)は藤樹書院で同志と共に夜学会を開いたという人物で、京都に上って古義堂で伊藤東涯に学び、その後帰郷して近隣の子弟に学問を教え、その後信濃国上田藩の藩儒となった。中村鸞渓(中村徳勝)は大溝で霖寰に教えを受けた一人で、のちに京都に上って東涯に学んだ[37]。元文4年(1739年)[37]に6代藩主分部光命に侍講として召し出された[38]。鸞渓は光命・光庸・光実の3代に仕えた[38]

藩校:修身堂

天明5年(1785年)、8代藩主分部光実は郭内の西門近くに藩校「修身堂」を創設し[39]、中村鸞渓を初代の文芸奉行(藩校の長)に任じた[40]。近江諸藩では最も早い藩校である[39]。鸞渓の死後は、その子の中村守篤が学頭となり[37]、修身堂では古学の教授が行われた[41]

板倉氏から養子として入った11代藩主分部光貞は、安政年間に川田甕江(川田剛)を賓師の礼をもって招き[29][37]、藩儒とした。甕江は古賀茶渓大橋訥庵に就いて朱子学を修めた人物で、修身堂の教育も朱子学派に転じた[42]。甕江は光貞の命を受け『中江藤樹先生年譜』の編纂にもあたっており[43]、藤樹書院で学んだ人物が修身堂の教員になるなど(鸞渓とともに修身堂設立に尽力した磯野義隆など[44])、両校の間には交流や影響も見られるという[45]。『日本教育史資料』によれば、修身堂では漢学(儒学)のほかに算術科・筆道科・習礼科が設けられ[41]、13歳未満の生徒には手島堵庵の著述を誦読させていた[41]。修身堂は大溝藩の廃藩を受け、明治4年(1871年)6月30日付で廃校となった[41]

産業

大溝湊を擁する大溝城下は湖西地方の商業中心地であった。高島郡出身の商人(高島商人)は全国に展開し、いわゆる「近江商人」の一角を占める。大溝出身の小野新四郎は江戸時代初期に盛岡に進出し、のちの小野組の基礎を築いた。


注釈

  1. ^ 旧上野藩領は津藩と紀州藩によって分割された。古くからの港町である白子湊はこのとき紀州藩領となった。
  2. ^ 財政難を原因として自ら廃藩した藩には、他に河内狭山藩などがある。
  3. ^ 大溝・打下村をはじめ20か村が一円支配地、17か村が入組支配地[12]。元禄年間と推定される史料では、高島郡島村・下古賀村において8領主による相給であった[12]
  4. ^ 滋賀県立公文書館には「野洲郡矢島村の旧大溝藩出張陣屋払下金の処分方伺」に関する文書がある[20]
  5. ^ 同一史料に依拠した三重県史編さん班は「上野藩時代からの家臣は122名」とする[8]
  6. ^ 藤樹の研究者であった柴田甚五郎が明治時代に唱えた説[33]

出典

  1. ^ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(397ページ)
  2. ^ a b c d 重要文化的景観「大溝の水辺景観」”. 高島市 (2018年5月8日). 2022年1月3日閲覧。
  3. ^ a b c 八杉淳 1989, p. 171.
  4. ^ a b c おおみぞこみぞ通信 9号(大溝藩開藩400周年記念号)”. 大溝の水辺景観まちづくり協議会 (2018年11月). 2022年1月3日閲覧。
  5. ^ a b c 藤田恒春. “大溝藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2022年1月3日閲覧。
  6. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第三百九十二、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』p.6
  7. ^ a b 上野城と分部氏の活躍、そして転封”. 歴史の情報蔵. 三重県県史編さん班. 2022年1月3日閲覧。
  8. ^ a b 第61話 伊勢上野初代藩主 分部光嘉”. 歴史の情報蔵. 三重県県史編さん班. 2022年1月3日閲覧。
  9. ^ a b c d 鎌田道隆 1982, p. 4.
  10. ^ a b c 大溝藩”. 藩名・旧国名がわかる事典. 2022年1月3日閲覧。
  11. ^ 鎌田道隆 1982, pp. 14–15.
  12. ^ a b c d e 鎌田道隆 1982, p. 3.
  13. ^ 鎌田道隆 1982, p. 2.
  14. ^ 中井均 2021, pp. 78–79.
  15. ^ a b c d 中井均 2021, p. 70.
  16. ^ 中井均 2021, p. 76.
  17. ^ a b c 中井均 2021, p. 91.
  18. ^ a b c 中井均 2021, p. 88.
  19. ^ 矢島御所(矢島館) 近江国(守山)”. 2022年1月9日閲覧。[信頼性要検証]
  20. ^ 土木掛書類(令参事指令)”. 滋賀県立公文書館所蔵資料検索システム. 2022年1月9日閲覧。
  21. ^ a b c d 鎌田道隆 1982, p. 5.
  22. ^ a b c d 鎌田道隆 1982, p. 13.
  23. ^ a b 鎌田道隆 1982, p. 15.
  24. ^ 鎌田道隆 1982, pp. 6–7, 15.
  25. ^ a b c d e f g 鎌田道隆 1982, p. 11.
  26. ^ 鎌田道隆 1982, pp. 8, 10.
  27. ^ a b 鎌田道隆 1982, p. 8.
  28. ^ 近藤重蔵の墓”. 高島市. 2022年1月3日閲覧。
  29. ^ a b c 中村貢 1966, p. 76.
  30. ^ 中江藤樹”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2022年1月8日閲覧。
  31. ^ 高島市歴史散歩 No.43 中江藤樹先生と大溝」『広報たかしま』第70号、2008年7月1日、2022年1月4日閲覧 
  32. ^ 中江藤樹について”. 中江藤樹生誕400年祭. 高島市. 2022年1月4日閲覧。
  33. ^ a b 高橋文博. “近世学問都市京都 中江藤樹学派と京都”. 2022年1月4日閲覧。
  34. ^ 【140408記者提供資料】第25回記念館小企画展「~近江聖人中江藤樹の高弟~ 双璧 熊沢蕃山・淵岡山」開催”. 高島市. 2022年1月4日閲覧。
  35. ^ 常省祭”. 公益財団法人藤樹書院. 2022年1月4日閲覧。
  36. ^ 大塩ゆかりの地を訪ねて⑥「大塩平八郎門人と藤樹書院」”. 大塩事件研究会. 2022年1月9日閲覧。
  37. ^ a b c d 膽吹覚 2008, p. 51.
  38. ^ a b 中村徳勝”. 高島ものしり百科. 高島市立図書館. 2022年1月7日閲覧。
  39. ^ a b 中井均 2021, p. 71.
  40. ^ 中村鸞渓”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年1月5日閲覧。
  41. ^ a b c d 膽吹覚 2008, p. 52.
  42. ^ 膽吹覚 2008, pp. 51–52.
  43. ^ 膽吹覚 2008, pp. 51, 55.
  44. ^ 膽吹覚 2008, p. 55.
  45. ^ 膽吹覚 2008, pp. 55–56.
  46. ^ 大溝藩分部家文書”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2022年1月3日閲覧。
  47. ^ 滋賀県指定史跡指定 平成4年3月31日 教育委員会告示第2号(平成16年5月14日施行)”. 滋賀県. 2022年1月3日閲覧。


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