大内延介
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普及活動など
- 1993年から1996年まで日本将棋連盟の専務理事を務め、1999年から開始された国際将棋フォーラムの立ち上げなどで活躍した。
- 長きにわたり、新橋駅SL広場で名人戦(春)ならびに竜王戦(秋)の大盤解説会を開催していた(聞き手は弟子の藤森奈津子)[18]。2017年6月に死去したが、同年秋、弟子たちによって第30期竜王戦の大盤解説会が引き続き開催された(第4局(2017年11月24日、鈴木大介・藤森奈津子・梶浦宏孝)[19]、第5局(2017年12月5日、鈴木大介・藤森奈津子・藤森哲也)[20][21])。2018年春の名人戦でも同様であり[22]、大内の志を弟子たちが引き継いでいる。
- 一周忌のしばらく後の2018年7月16日に、(株)囲碁将棋チャンネル・日本将棋連盟の主催、「大内延介九段一門」の協力で、「大内門下杯 子ども将棋大会」が開催された[23]。大内延介九段一門として名を連ねたのは、塚田泰明・鈴木大介・富岡英作・田村康介・梶浦宏孝、および藤森奈津子(LPSA)の6名[24]。
弟子
(段位・主な活躍は2024年4月1日現在のもの。)
棋士
名前 | 四段昇段日 | 段位・主な活躍 |
---|---|---|
塚田泰明 | 1981年3月 5日 | 九段、王座1期、一般棋戦優勝3回、A級在籍7期 |
飯田弘之 | 1983年3月 4日 | 七段 |
富岡英作 | 1984年12月18日 | 九段 |
鈴木大介 | 1994年10月 1日 | 九段、タイトル挑戦2回、一般棋戦優勝2回、A級在籍4期 |
田村康介 | 1995年10月 1日 | 七段、一般棋戦優勝1回 |
女流棋士
名前 | 女流プロ入り日 | 段位・主な活躍 |
---|---|---|
藤森奈津子 | 1979年1月 | 女流四段 |
- 鈴木の「大介」という名前は、鈴木の親が大内の名前にあやかって命名したとされる。
- 孫弟子は2011年10月1日付で四段に昇段した藤森哲也(五段・塚田門下)・2015年4月1日付で四段に昇段した梶浦宏孝(七段・鈴木門下)・2014年10月1日付で女流2級に昇級した塚田恵梨花(女流二段・塚田門下)の3人がいる。
不祥事
- 第42期(1984年度)順位戦10回戦・関西将棋会館での小林健二との対局で、対局場を東京・将棋会館と勘違いして不戦敗となった。この1敗が響いて大内は翌第43期にB級2組に降級した。
- 2003年10月10日、数名の知人と韓国へ観光に向かう途中だったが[25]、成田空港を午前9時50分に出発するソウル行き日本航空951便を利用しようとし、搭乗手続きは済ませていたものの[25]、搭乗口に現れるのが遅れて同便に搭乗できなかった[26]。飛行機が離陸態勢に入った後の午前10時10分頃に搭乗口に現れ、自分を搭乗させるよう求めて騒ぎを起こし、日本航空関連会社の男性管理職(42歳)と口論して、男性管理職の顔を殴って軽傷[26](殴ったのは1回[26]、全治3週間と診断された[26])を負わせた[25]。同空港を所轄する千葉県警新東京空港署から事情聴取を受けた大内は容疑を認め、同署は逃亡の恐れがないとして釈放した[25]。事情聴取が終了した後、他の航空会社の便でソウルに向かった[25]。2003年10月15日、日本将棋連盟理事会に謝罪文を提出した[27]。
注釈
- ^ 2009年の第67期名人戦第6局の立会人を務めた際、1日目のテレビ中継(NHK衛星第2テレビジョン、2009年6月15日午前)で、大内の名人戦登場の映像が紹介された際、アナウンサーが、「名人位に手が届くとなると平常心を保てなくなるか」と質問したのに対して語ったものである。なお、語った後、微笑しながら「一生言うまいと思っていましたが、気が緩みましたね」と述懐した。
- ^ のちに淡路仁茂九段も同様の形で有終の美を飾る(2015年5月21日竜王戦5組残留決定戦・対森雞二)
- ^ 2019年現在の規定では、引退内定の時点で竜王戦5組に残留した場合は竜王戦のみ最長2年間延長して出場できる。但し同規定は2010年7月9日に改訂されたものであり、大内は翌期竜王戦には出場できなかった。
出典
- ^ 東京都は1943年設置。港区は1947年に芝区、麻布区、赤坂区が合併して成立。
- ^ a b c “大内延介九段 訃報ならびに「お別れの会」のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2017年6月26日). 2017年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月26日閲覧。
- ^ “将棋部会”. 白門 中央大学学員会名古屋支部. 2019年7月25日閲覧。
- ^ a b 「将棋世界」(日本将棋連盟)2000年1月号付録。
- ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.65
- ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.66
- ^ 田丸昇『将棋名人戦秘話』(マイナビ)P.70
- ^ a b “訃報 大内延介さん75歳=将棋棋士九段、怒濤流の棋風”. 毎日新聞 (2017年6月26日). 2017年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月5日閲覧。
- ^ a b c d e 田丸昇 (2017年7月27日). “『山口瞳、吉永小百合をも魅了した大内延介九段の生涯』-「将棋界を斬る 田丸昇九段の眼」”. 日刊ゲンダイ. 2017年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月26日閲覧。
- ^ a b “大内延介九段「お別れの会」 - 関係者・ファン約500人が参会”. 日本将棋連盟 (2017年7月18日). 2017年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月18日閲覧。
- ^ a b “大内九段に別れ - 将棋・500人が惜しむ”. 朝日新聞 (2017年7月21日). 2017年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月21日閲覧。
- ^ a b 「最優秀棋士賞に羽生善治竜王、特別賞に藤井聡太六段。第45回将棋大賞決まる|将棋ニュース」『日本将棋連盟』、2018年4月2日。2018年4月2日閲覧。オリジナルの2018年4月2日時点におけるアーカイブ。
- ^ “穴熊名局集~穴熊の名棋士へインタビュー~|将棋情報局”. マイナビ出版 将棋情報局 (2015年5月19日). 2018年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
- ^ 中平 1974, pp. 87–95, 奇行
- ^ 山田 2002, p. 167
- ^ a b 山田 2002, p. 70
- ^ a b NHKテレビテキスト 「将棋講座」2012年5月号。
- ^ “新橋SL広場で将棋の名人戦大盤解説会-今年も大内九段が登壇” (日本語). 新橋経済新聞. (2012年4月23日). 2012-4-23. オリジナルの2018年4月20日時点におけるアーカイブ。 2018年4月9日閲覧。
- ^ “第30期竜王戦七番勝負第4局 新橋西口SL広場大盤解説会”. 日本将棋連盟 (2017年10月11日). 2017年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月11日閲覧。
- ^ “第30期竜王戦七番勝負第5局 新橋西口SL広場大盤解説会”. 日本将棋連盟 (2017年11月27日). 2017年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月5日閲覧。
- ^ “ツィート”. 藤森哲也 (2017年12月5日). 2017年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月5日閲覧。
- ^ 「第76期名人戦第1局 新橋西口SL広場大盤解説会|イベント」『日本将棋連盟』。2018年4月9日閲覧。オリジナルの2018年4月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ “[締切迫る大内門下杯 子ども将棋大会のご案内]”. 日本将棋連盟. 2018年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月5日閲覧。
- ^ “大内門下杯 子ども将棋大会 告知チラシ” (PDF). 日本将棋連盟. 2018年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月5日閲覧。
- ^ a b c d e “将棋の大内九段、搭乗断られ成田で暴力容疑”. 朝日新聞 (2003年10月11日). 2003年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
- ^ a b c d “将棋の大内九段、JAL機に乗り遅れ係員とトラブル”. 産経新聞 (2003年10月11日). 2003年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
- ^ “理事会よりご報告”. 日本将棋連盟 (2013年10月15日). 2003年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月10日閲覧。
- ^ “第36回将棋大賞決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2009年4月1日). 2017年7月19日閲覧。
固有名詞の分類
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