和田野 歴史

和田野

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 04:38 UTC 版)

歴史

古代・中世・近世

弥生時代のこの地には坂野遺跡、坂野丘遺跡(現在の京丹後市立鳥取小学校グラウンドの場所)、柿の坂遺跡などがあった[15]

古墳時代のこの地には大田南古墳群、太田古墳群、坂野古墳、オテジ谷古墳、愛宕山古墳、古天王古墳、寺谷古墳群があった[15]

かつてこの地は恒枝保(つねえだほ)とよばれており、和田野とよばれるようになった時代は定かでない[16]。郷土史家の萩原勉は、愛宕山に和田氏の居城があったためとする説、吾野(わだの/あがの)が和田野に転じたとする説、河川などが湾曲している部分を表すワタが由来であるとする説を挙げている[17]

近世の和田野村は宮津藩領だった[18]。『慶長郷村帳』によると村高は917石余、『宝永村々辻高帳』によると717石余、『天保郷帳』によると728石余、『旧高旧領』によると717石余だった[18]。集落の歴史を伝えるものとして、和田野西方寺の過去帳に1837年(天保8年)に大飢饉があり、この年の和田野集落の死者50人中28人の死因が餓死によるものであったことが記録されているほか[19]、1839年(天保10年)11月の「和田野村古絵図」が知られている[20]

近代

西方寺の北丹震災供養塔

1868年(慶応4年)には久美浜県、1871年(明治4年)には豊岡県の所属となり、1876年(明治9年)には京都府の所属で落ち着いた[18]。1888年(明治21年)時点では126戸を有していた[18]。1889年(明治22年)4月1日には町村制を施行し、和田野村・木橋村・鳥取村が合併して竹野郡鳥取村が発足。鳥取村の大字として和田野が設置された[18]

1872年(明治5年)に学制が発布されると、1874年(明治7年)には和田野校が開校し、1880年(明治13年)には和田野校の校舎が建設された[21]。1889年(明治22年)には和田野校が統合され、鳥取に鳥取校が開校している[21]。1888年(明治21年)当時の和田野の戸数は126戸だった[21]

1898年(明治31年)には和田野に北丹銀行が設立された[22]。北丹銀行は1918年(大正7年)に丹後商工銀行(現在の京都銀行の前身のひとつ)和田野支店となっている[23]

1927年(昭和2年)3月7日には丹後大震災が発生し、和田野では家屋の全壊29棟、半壊34棟の被害が出た[24]。春雨工場から出火して18人が死去するなど[24]、和田野では計35人が犠牲となった[16]

1930年(昭和5年)時点の和田野橋西側の低地には芝居小屋があり、旅回りの一座による芝居、活動写真の上映などの興行が行われた[25]。1933年(昭和8年)2月1日、鳥取村・溝谷村吉野村深田村が合併して弥栄村が発足。弥栄村の大字として和田野が設置された。

太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)7月30日には米軍の小型機が和田野に襲来し、春雨工場などが機銃掃射を受けた[26]。太平洋戦争では27人の和田野出身者が戦死している[26]。戦争の影響は町の中心部にある和田野橋にも及び、欄干部分が金属だったため金属供出で外されたため、通行人が落下する事故もあった[27]

現代

1953年(昭和28年)には和田野に映画館の弥栄映劇が開館し[28]、丹後や但馬に複数の館を保有する東史郎によって経営されていたが[29]、1965年(昭和40年)6月に廃館となっている[30]

1955年(昭和30年)3月1日には弥栄村と野間村が合併して弥栄町が発足。弥栄町の大字として和田野が設置された。1957年(昭和32年)10月には自動車ポンプが配備され[31]、1961年(昭和36年)11月には和田野を通る府道の舗装工事が完成した[32]。1962年(昭和37年)には集落内の道路も初めて舗装されている[33]

1963年(昭和38年)1月の昭和38年1月豪雪(三八豪雪)では和田野でも積雪2メートルを記録し、家屋全壊5棟、半壊7棟の被害があった[33]。1964年(昭和39年)6月には12戸の弥栄町営住宅団地が完成し[34]、その後2戸増築された[35]。1966年(昭和41年)7月には遊園広場に25メートルの弥栄町営プールが完成した[36]。プールの水には竹野川の伏流水を利用し、浄化装置のほかトンネルシャワー、脱衣所、便所、洗顔所などの衛生面の施設も完備されていた[37]。このころ、和田野区民グラウンド、保育所の新築、勤労主婦と子どもセンター(機業センター)など、公共施設を相次いで整備した[38]

昭和40年代、和田野区は農業構造改善事業にも着手し、農家の人手不足を補う各種の大型農業機械の導入を進めた[38]。1966年(昭和41年)12月には竹野川衛生センターが完成した[36]。1992年(平成4年)6月、和田野に農業排水を扱う汚水処理施設が完成した[39]。回分式活性汚泥法を採用[40]したこの施設は京都府下で初の農業集落排水処理施設で、当時全国的に見ても類例のない規模を誇った[41]。2002年(平成14年)3月、和田野浄水場が完成した[42]

1970年(昭和45年)3月には円筒埴輪などが大量に見つかった太田古墳の発掘調査が開始された[43][38]。1990年(平成2年)から1995年(平成7年)にかけて大田南古墳群の発掘調査が行われ、1996年(平成8年)6月27日には5号墳から出土した「方格規矩四神鏡」が重要文化財に指定された[44]

1995年(平成7年)には和田野小字中原の山中で弥栄町内初の温泉試堀に成功し、弥栄町総合運動公園(弥栄町木橋)までの給湯管理設備が整備され、弥栄町制40年を記念して弥栄あしぎぬ温泉(弥栄町木橋)が開業した[38][45]

2004年(平成16年)4月1日、弥栄町が周辺5町と合併して京丹後市が発足。京丹後市の大字として弥栄町和田野が設置された。2013年(平成25年)7月31日時点の世帯数は299世帯、人口は818人だった[16]

人口と世帯数の変遷

人口の変遷
1955年(昭和30年) 995人
1960年(昭和35年) 973人
1965年(昭和40年) 974人
1970年(昭和45年) 911人
1975年(昭和50年) 928人
1980年(昭和55年) 919人
1985年(昭和60年) 920人
1990年(平成2年) 871人
1995年(平成7年) 840人
2000年(平成12年) 829人
世帯数の変遷
1955年(昭和30年) 207戸
1960年(昭和35年) 208戸
1965年(昭和40年) 221戸
1970年(昭和45年) 219戸
1975年(昭和50年) 232戸
1980年(昭和55年) 231戸
1985年(昭和60年) 243戸
1990年(平成2年) 235戸
1995年(平成7年) 241戸
2000年(平成12年) 247戸

  1. ^ デジタルミュージアムK6大田南5号墳出土方格規矩四神鏡”. 京丹後市. 2022年10月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 京丹後市史編さん委員会『京丹後市の民俗』京丹後市役所、2014年、307-310頁。 
  3. ^ a b 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、22頁。 
  4. ^ a b 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、678頁。 
  5. ^ a b 萩原勉『区長さん奮戦記』関西書院、1996年、105頁。 
  6. ^ 萩原勉『弥栄・和田野 小字名の語源・考』萩原勉、1999年8月13日、30-31頁。 
  7. ^ 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、699頁。 
  8. ^ a b c 『写真アルバム舞鶴・宮津・丹後の昭和』樹林舎、2021年、20頁。 
  9. ^ 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、686頁。 
  10. ^ 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、699-700頁。 
  11. ^ 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、586頁。 
  12. ^ 『昭和ひとけたの頃』萩原勉、1982年3月25日、19-20頁。 
  13. ^ 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、700頁。 
  14. ^ 『時を越えて 弥栄町の年』京都府弥栄町役場、1995年3月1日、62頁。 
  15. ^ a b 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、22頁。 
  16. ^ a b c d e 和田野区” (PDF). ふるさとわがまちわが地域. 2022年9月7日閲覧。
  17. ^ 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年。 
  18. ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年、1508-1509頁。 
  19. ^ 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年。 
  20. ^ 萩原勉『区長さん奮戦記』関西書院、1996年、30頁。 
  21. ^ a b c 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、27頁。 
  22. ^ a b 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、28頁。 
  23. ^ 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、29頁。 
  24. ^ a b c d 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、30頁。 
  25. ^ a b 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、31頁。 
  26. ^ a b c 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、33頁。 
  27. ^ 『保存版 舞鶴・宮津・丹後の今昔』郷土出版社、2004年、94頁。 
  28. ^ 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、34頁。 
  29. ^ 『映画便覧 1960』時事通信社、1960年
  30. ^ a b 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、37頁。 
  31. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、20頁。 
  32. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、28頁。 
  33. ^ a b 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、36頁。 
  34. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、34頁。 
  35. ^ 萩原勉『区長さん奮戦記』関西書院、1996年、120頁。 
  36. ^ a b 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、40頁。 
  37. ^ 『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、40頁。 
  38. ^ a b c d e f 『時を越えて 弥栄町の40年』京都府弥栄町、1995年、20頁。 
  39. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、97頁。 
  40. ^ 『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、97頁。 
  41. ^ 『時を越えて 弥栄町の40年』京都府弥栄町、1995年、63頁。 
  42. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、118頁。 
  43. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、48頁。 
  44. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、106頁。 
  45. ^ 『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、143頁。 
  46. ^ 『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、170頁。 
  47. ^ 2011年10月30日(前編)・11月6日(後編)放送 冬が怖い家”. 朝日放送. 2022年10月23日閲覧。
  48. ^ 安本宗春「地域内外における緩やかさを活かした関係構築 -京都府京丹後市弥栄町和田野区との大学連携-」『現代社会研究』第2021巻第19号、東洋大学現代社会総合研究所、2021年、137頁、doi:10.34375/gensoken.2021.19_129 
  49. ^ 「匠」が選ぶビフォーアフター大賞2011”. 朝日放送. 2022年10月23日閲覧。
  50. ^ 塩田敏夫 (2020年2月23日). “地域のにぎわい拠点に”. 毎日新聞社 京都 丹波・丹後版: p. 18 
  51. ^ a b 国営農地(5)弥栄町和田野団地 京丹後市
  52. ^ 『弥栄町の農業』京都農林統計協会、1999年、40頁。 
  53. ^ 弥栄町『弥栄のまさか』弥栄町、1997年、10頁。 
  54. ^ 日本遺産~300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊~ 京丹後市
  55. ^ 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、32頁。 
  56. ^ a b c 弥栄町『弥栄のまさか』弥栄町、1997年、32頁。 
  57. ^ 会社概要”. ちりめん工芸館. 2022年10月22日閲覧。
  58. ^ 『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、181頁。 
  59. ^ 萩原勉『区長さん奮戦記』関西書院、1996年、37頁。 
  60. ^ a b 『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、70頁。 
  61. ^ a b 『時を越えて 弥栄町の40年』京都府弥栄町、1995年、62頁。 
  62. ^ 萩原勉『区長さん奮戦記』関西書院、1996年、124頁。 
  63. ^ 萩原勉『区長さん奮戦記』関西書院、1996年、125頁。 
  64. ^ a b c d e f g h 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、146-147頁。 
  65. ^ a b 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、148頁。 
  66. ^ 大田南二号墳出土品 京丹後市デジタルミュージアム
  67. ^ a b c d 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、152頁。 
  68. ^ 京丹後市教育委員会『京都府京丹後市 寺社建築物調査報告書 弥栄町』京丹後市教育委員会、2010年。 
  69. ^ 弥栄町役場『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、650-651頁。 
  70. ^ a b 『弥栄町史』弥栄町役場、1970年、672頁。 
  71. ^ 弥栄町役場『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、672頁。 
  72. ^ a b c 京丹後市史編さん委員会『京丹後市の自然環境』京丹後市役所、2015年、175頁。 





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