和田雄二 (競馬)とは? わかりやすく解説

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和田雄二 (競馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/15 13:29 UTC 版)

和田雄二
基本情報
国籍 日本
出身地 鹿児島県鹿屋市[1]
生年月日 (1969-08-14) 1969年8月14日(54歳)[2]
所属団体 日本中央競馬会
初免許年 2013年[2]
経歴
所属 保田隆芳/厩務員(1995.4 - 1996.3)
吉永正人/厩務員・調教助手(1996.4 - 2006.8)
松山康久/調教助手(2006.9 - 2006.11)
武市康男/調教助手(2006.12 - 2007.6)
中野栄治/調教助手(2007.7 - 開業)
美浦T.C(開業 - )[2]
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和田 雄二(わだ ゆうじ、1969年8月14日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンター調教師鹿児島県鹿屋市出身。

来歴

同郷の騎手である吉永正人に憧れ、騎手になるため競馬学校を3度受験するも全て不合格となり、その後は調教師を目指すことになる[3]鹿屋農業高校日本大学農獣医学部畜産学科を卒業し1994年10月にJRA競馬学校厩務員課程に入学[1][2]。翌1995年4月に保田隆芳厩舎の厩務員となる。

1996年4月から憧れていた吉永正人厩舎で厩務員となり1997年6月から調教助手を務める[2]

2006年9月11日に吉永が病死し厩舎解散となったため松山康久厩舎に移籍する。その後、武市康男厩舎、中野栄治厩舎と所属を渡り歩いた。

2013年に14回目の挑戦でJRA調教師免許試験に合格し、同年美浦トレセンで厩舎を開業した[3]

2022年5月29日の東京1Rの勝利でJRA通算100勝を達成[4]11月12日に行われたデイリー杯2歳ステークスオールパルフェが勝利し、重賞初勝利となった[5]

2023年4月22日美浦トレセンで調教コースへ向かう途中に脳梗塞を発症し落馬、一時意識不明の重体となった[6]。その後、意識が回復し一命を取り留め現在は自宅療養している[7]

調教師成績

概要

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2013年3月16日 2回中京3日2R 3歳未勝利 オクマンチョウジャ 16頭 13 15着
初勝利 2013年7月20日 2回福島7日7R 3歳未勝利 ビバゴールデン 16頭 5 1着
重賞初出走 2014年8月31日 2回新潟10日11R 新潟2歳ステークス ラミーロ 18頭 17 16着
重賞初勝利 2022年11月12日 5回阪神3日11R デイリー杯2歳ステークス オールパルフェ 10頭 3 1着
GI初出走 2014年12月14日 5回阪神4日11R 阪神ジュベナイルフィリーズ スマートプラネット 18頭 13 6着

主な管理馬

  • オールパルフェ(2022年デイリー杯2歳ステークス)

脚注

出典

関連項目




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