今西錦司
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登山家として
学生時代から登山を好んだ。1942年には大興安嶺の探検隊長として、森下正明を副隊長、梅棹忠夫、吉良竜夫、川喜田二郎らを隊員としてを踏破している。1985(昭和60)年には日本1500登山を達成した。
岐阜大学学長を承諾した理由は岐阜・大垣の背後にそびえる美濃の山々が気に入ったからであり、「そこに山があるから私は岐阜大学に行くのである。」との言を残している。[31]
海外では50歳でヒマラヤのチュルー峰を、61歳でキリマンジャロに登った。1971(昭和46)年の『文藝春秋』掲載の司馬遼太郎との対談では、長らく患っていた坐骨神経痛がヒマラヤ登山で完治したと話している。
三角点に愛着を持ち、1973(昭和48)年には「一等三角点研究会」を創設し顧問に就任した。[32]
今西グループ
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今西錦司は非常に影響力が強く、多くの同期、後代の学者がその影響を認めている。特に京都大学を中心とする影響の強い人たちをまとめて今西学派、今西グループ、あるいは新京都学派などと呼ぶことがある。長い間無給講師を続けていた今西には直接の学生はほとんどいないが、伊谷や河合、川村俊蔵などは講師時代の弟子として知られる。一方で自然人類学講座に勤めてから人文研に移るまでの間の学生であった西田などは伊谷の弟子であるとされる。
今西グループや今西派と呼ばれる研究者の多くは今西の直接の学生ではなく、登山仲間・山岳部関係者が多い。前述の森下正明や吉良竜夫、梅棹忠夫、中尾佐助らがそれに該当する。戦前の国外探検の関係者なども多くここに数えられる。
上記のように、今西の生物学における業績やその影響はなかなか評価が難しく、その影響が判断しがたい面がある。しかし、生態学における彼の関係者の範囲は広く、その影響は広大である。霊長類研究者のように直接の弟子筋に当たるものはもちろん、岩田久二雄のような孤高の研究者や森下正明のような正統派、理論派とされるものまでその幅は広く、この限りでは今西の影響は非常に大きい。
受賞・栄典・顕彰
- 1968年(昭和43年)- 朝日賞
- 1972年(昭和47年)- 勲二等瑞宝章、文化功労者
- 1979年(昭和54年)- 文化勲章
- 1982年(昭和57年)- 京都市名誉市民[33]
- 1992年(平成4年)- 叙従三位、贈勲一等瑞宝章(没時叙位陞勲)
- ^ a b c “ブリタニカ国際大百科事典『今西錦司』”. コトバンク. 朝日新聞社. 2015年11月30日閲覧。
- ^ 大串 (1992) pp.23-24
- ^ 『官報』第394号、昭和3年4月24日、p.616
- ^ 今西錦司「日本渓流産蜉蝣目」博士論文報告番号不明、京都帝国大学、2020年4月7日閲覧。
- ^ “岐阜大学歴大学長”. 岐阜大学. 2015年11月30日閲覧。
- ^ a b 『今西錦司の世界 : 座談』平凡社、1975年。
- ^ パメラ J. アスキス, 2006, 社会性および進化の所産に関する今西錦司の観点を示す諸資料, 生物科学, Volume.57, No.3
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 山極寿一 著「1.原始的人間とは何か」、山極寿一 編『ヒトはどのようにしてつくられたか』岩波書店〈ヒトの科学〉、2007年、1-32頁。ISBN 978-4000069519。
- ^ 山極寿一『人類進化論』裳華房、2008、p. 11.
- ^ 今西錦司, 1993,今西錦司全集 第4巻 生物社会の論理, 講談社, ISBN 4062533049
- ^ ただし突然変異が多発することの必要性は、前掲書『座談』で撤回している。
- ^ 今西の『私の進化論』に全体主義にホーリズムとルビをふられている箇所がある。
- ^ 今西錦司 主体性の進化論 中央公論社, 1980.7 , 218p. -- (中公新書 ; 583)ISBN 9784121005830
- ^ なおダーウィンは中立的な進化現象にも記述を残している。
- ^ Laÿna, Droz; Jannel, Romaric; Rupprecht, Christoph D. D. (2022-06-10). “Living through multispecies societies: Approaching the microbiome with Imanishi Kinji” (英語). Endeavour: 100814. doi:10.1016/j.endeavour.2022.100814. ISSN 0160-9327 .
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『川村俊蔵』 - コトバンク
- ^ 20世紀西洋人名事典『C.R. カーペンター』 - コトバンク
- ^ 今西錦司「人間家族の起源:プライマトロジーの立場から」『民族学研究』第25巻第3号、1961年、119-138頁、NAID 10011013538。
- ^ 可児藤吉, 1978, 渓流性昆虫の生態(可児藤吉全集(全一巻) 思索社,1978)
- ^ フランス ドゥ・ヴァール (訳)西田 利貞・藤井 留美 , 2002, サルとすし職人―「文化」と動物の行動学, 原書房, ISBN 4562035889
- ^ 河田雅圭, 1990, 日本社会と今西進化論, はじめての進化論, 講談社現代新書
- ^ なお今西は上山春平(1971)から指摘されても、かなりの間、西田からの影響を認めていなかった。しかし1980年代の京都大学人文学研究所の研究会で直接上山に指摘されて以降対談などでも影響を認めるようになった
- ^ 徳永幸彦, 2006, 今西錦司 『生物の世界』周りのテーラー展開として, 生物科学, Volume.57, No.3
- ^ 佐倉統 2000「科学と非科学のはざまで──日本の霊長類学はどこまで日本的か?──」霊長類生態学―環境と行動のダイナミズム 杉山 幸丸 (編)
- ^ 池田清彦, 1991, 構造主義科学論からみた進化論史 講座進化 1 進化論とは. 東京大学出版会, 柴谷篤弘, 長野敬, 養老孟司編
- ^ 市野隆雄, 2003, 壮大なフロンティア精神の現代的意義―今西錦司の生物学, 科学, vol73, 12
- ^ 川出由己, 2006, 生物記号論-主体性の生物学, 京大学術出版会
- ^ 伊藤嘉昭自伝『楽しき挑戦―型破り生態学50年』海游舎 2003年
- ^ 西田利貞, 2003, 霊長類の研究と今西錦司, 科学, vol73, 12
- ^ 伊勢田哲治, 2005, 哲学思考トレーニング, ちくま新書
- ^ 『私の履歴書』日本経済新聞1973年1月30日付より
- ^ 登山案内 一等三角点全国ガイド. Ittō Sankakuten Kenkyūkai,, 一等三角点研究會編著, (Kaiteiban ed.). Kyōto-shi. ISBN 978-4-7795-0914-8. OCLC 910832605
- ^ “京都市名誉市民 今西錦司氏”. 京都市. 2022年9月7日閲覧。
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