中国放送沖美ラジオ送信所
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当送信所は、廿日市市住吉2丁目8番1号にあった送信所の老朽化に伴い、RCC開局50周年となる2002年10月1日に現在地である佐伯郡(現:江田島市)沖美町美能字亀原715番地に3代目送信所として移転・開局したものである。
送信所概要
放送局名 | コールサイン | 周波数 | 空中線電力 | 放送対象地域 | 放送区域内世帯数 | 備考 |
RCC中国放送 | JOER | 1350kHz | D20kW | 広島県 | 1,313,440世帯[1] | 1992年10月1日~2011年3月14日 AMステレオ放送実施 |
高さは110mあり、送信所敷地が狭く歪な土地であったため、AMラジオ送信所では珍しい自立式基部設置型アンテナが採用された[2][注釈 1]。
2002年当時は朝鮮半島に同一周波数を使用する放送局があった[注釈 2]ため、混信回避を目的として韓国方向へは電波が出ないような指向性が付けられている。そのため、倉橋町(呉市)や松山市では移転前よりも電波が弱まることとなった[3]。
伝送方法
- 3.4GHz無線デジタル回線及びNTT有線回線
- STLは本社南館鉄塔から絵下山のデジタルテレビ親局(2002年から2011年のアナログテレビ放送終了以前は広島ホームテレビのアナログ親局)を経由して伝送されている。2002年当初から絵下山経由であったのは、回線の安定性を確保するとともに、2006年の開始が迫っていたデジタルテレビ放送用のSTL回線を確保する側面もあった。なお3.4GHzの周波数帯は将来的に第4世代携帯電話用に割り当てられる予定であり、2022年11月末までには6.5GHz帯へ移行しなければならない[4]。
- ^ a b 『RCC開局60年 デジタル化の道のり [50-60年史]』p.164
- ^ 『RCC開局60年 デジタル化の道のり [50-60年史]』p.176
- ^ 『RCC開局60年 デジタル化の道のり [50-60年史]』p.178
- ^ 『RCC開局60年 デジタル化の道のり [50-60年史]』pp.35-36
- ^ a b 『民間放送十年史』日本民間放送連盟、1961年12月1日、551頁。NDLJP:2497068/297。「ラジオ中国」の項より(これに詳細な番地等の記載がある)。
- ^ 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』p.30
- ^ a b 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』p.31
- ^ a b c d e f 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』p.33
- ^ 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』p.34
- ^ 『RCC開局60年 デジタル化の道のり [50-60年史]』p.58
- ^ a b 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』p.374
- ^ 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』p.246
- ^ 『RCC開局60年 デジタル化の道のり [50-60年史]』p.175
- ^ 『RCC開局60年 デジタル化の道のり [50-60年史]』p.161
- 1 中国放送沖美ラジオ送信所とは
- 2 中国放送沖美ラジオ送信所の概要
- 3 歴史
- 4 備考
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