中印国境紛争 概要

中印国境紛争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 17:05 UTC 版)

概要

1954年、中華人民共和国とインドの両国は平和五原則を発出し、以前から有った国境間の紛争の平和的解決を志向したが、1959年チベット動乱が起こった事でダライ・ラマ14世がインドに亡命し、中印関係は悪化。同年8月10月に両国の東部および西部国境で軍事衝突が発生した。ついで62年10月、中国人民解放軍は東部および西部国境で大規模な攻撃を行い、インド軍を敗走させたのち、もとの国境線に引き揚げた[1]

係争地域は西、中、東部の3地域があり、西部は中国の新疆ウイグル自治区アクサイチンとインドのラダック地区の間で、中国の建設した新疆・チベット公路があり、中国が実効支配している。中部はシプキ峠、マナ峠を含む中印国境地帯、東部はブータン東部の中国のチベット自治区とインドのアッサム州の間でマクマホンラインが実際上の国境となっている。中国側の発表によれば、紛争地域は合計12万5000平方キロメートル(以下キロと省略)にわたり、東部9万平方キロ、中部2000平方キロ、西部3万3000平方キロを占めている[1]

中印両国の基本的主張は、1950年代末から1960年代初頭にかけてのインドの首相であるジャワハルラール・ネルー中国の首相である周恩来との往復書簡、国境会談によって明らかにされている。西部では、インドは伝統的国境線はすでに存在し、全ラッダク地区はインド領であるとしているのに対して、中国は、国境線は未確定であり、全アクサイチン地区を中国領であると主張し、東部では、インドはマクマホンラインを国境線と主張するのに対し、中国は、1914年シムラ条約に当時の中国政府である中華民国は調印していないのでこれを認めず、国境は未確定であり、プラーフマ・プトラ川北岸を国境線と主張している。中部でも、マクマホンラインを国境とするインドと、これを認めないとする中国の主張は対立している[1]

1960年代後半の中国の文化大革命以後、両国の対立はさらに深まったが、1981年から関係改善と国境会談が行われ、1988年12月、ネルー訪中以来34年ぶりにインドの首相ラジーヴ・ガンディーは中国を訪問、平和五原則を再確認して中印国境問題解決のための合同グループの設置で合意した。その後1991年12月、中国の首相の李鵬が31年ぶりにインドを訪問、国境貿易の再開の協定に調印、1994年7月には中国の外相の銭其琛がインドを訪問、インドの外相のラオとの会談で国境地帯の兵力削減には、さらに時間が必要との認識で一致した。2003年にはアタル・ビハーリー・ヴァージペーイーが訪中し、包括協力宣言に調印。以降両国の経済協力関係強化や国境問題に関する話合いが進んでいる[1]


  1. ^ a b c d e f g h 中印国境紛争”. コトバンク. 2023年5月2日閲覧。
  2. ^ a b c d 中印国境紛争”. 政経電論 (2020年7月22日). 2023年5月2日閲覧。
  3. ^ 中印国境紛争”. 世界史の窓. 2023年5月2日閲覧。
  4. ^ 「サラミ戦術」の逆効果...中国にとっての「悪夢」が現実に(ニューズウィーク日本版)”. Yahoo!ニュース. 2023年7月21日閲覧。
  5. ^ 下記節「現在」参照
  6. ^ “India and China agree over Tibet”. BBC. (2003年6月24日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/3015840.stm 2017年5月18日閲覧。 
  7. ^ a b 環球網 2010年9月22日閲覧
  8. ^ 大紀元 ブータン国境で中印がにらみ合う 領有権紛争が再燃 1962年来の緊張状態
  9. ^ AFPBB News
  10. ^ 大紀元 中印両国、対峙を解消へ
  11. ^ 中印両軍、国境で殴り合い
  12. ^ Modi does not want war with war www.rediff.com online site”. 2020年8月7日閲覧。
  13. ^ The formal process of disengagement”. 2020年8月7日閲覧。
  14. ^ a b パク・スチャン (2021年7月8日). “モディ印首相、中国に見せつけるようにダライ・ラマと電話会談 インド国内の反中世論高まりを受け中国に対する強硬姿勢に転換”. 朝鮮日報. オリジナルの2021年7月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210708060141/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/07/08/2021070880017.html 
  15. ^ a b パク・スチャン (2021年7月8日). “モディ印首相、中国に見せつけるようにダライ・ラマと電話会談 インド国内の反中世論高まりを受け中国に対する強硬姿勢に転換”. 朝鮮日報. オリジナルの2021年7月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210711010123/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/07/08/2021070880017_2.html 






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