三浦梧門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 06:44 UTC 版)
諱は惟純、字を宗亮。通称は総助もしくは惣吉。梧門は号で別号に秋声・荷梁・香雨など。
略伝
長崎本興善町乙名の三浦総之丞の長男。先祖は平戸藩家臣で代々興善町乙名を任される。号の梧門は邸内に植えた梧桐(梧桐)の美しさを愛でたことに由来するという。梧梧門は本興善町の乙名から長崎会所目付役となっている。
画は最初、唐絵目利の渡辺秀実・石崎融思に学び、その後、舶載される中国の古書画・名品に臨んでその画法を独学した。米法山水を得意とし作品数も最も多く、中でも「雪景山水図」が目立つ。人物図・花鳥図も能くし、他に土佐絵風の画も見られる。特に「鍾馗図」は、山水画に次いで人気があり、病気除け、平癒に効果があると評判で、梧門も好んで描いた。更に伊藤若冲の「乗興舟」のような正面摺り(正面版[2])の花卉図も確認されており、梧門の多様な作画と当時の長崎文化の成熟ぶりが伝わってくる。
享年53。墓所は本蓮寺。門弟に伊藤深江がいる。
代表作
- 「鍾馗禳魔図」 長崎歴史文化博物館蔵 1858年(安政5年)
関連項目
出典
- 阿野露団『長崎の肖像 長崎派の美術家列伝』 形文社、1995年
- 植松有希 「長崎の南画家・三浦梧門について」『長崎歴史文化博物館 研究紀要』第8号、2014年3月、pp.15-30
- 1 三浦梧門とは
- 2 三浦梧門の概要
固有名詞の分類
- 三浦梧門のページへのリンク