三条西家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/15 15:59 UTC 版)
三条西家(さんじょうにし け)は、藤原北家閑院流嫡流の三条家の分家である正親町三条家(嵯峨家)のそのまた分家にあたる公家・華族の家[1]。公家としての家格は大臣家、華族としての家格は伯爵家[2]。
- ^ この二条家とは、摂関家の二条家ではなく、まったくの別流である。別名の御子左家といったほうが、わかりやすいかもしれない。しかし、家としては、室町時代初期に断絶したため、堂上としては三条西家が二条家の学統を継いだ。冷泉家は京極家とともに、この二条家の分家にあたる。
- ^ 国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』によれば幕末期の三条西家領は、山城国愛宕郡東紫竹大門村のうち50石7斗、山城国葛野郡上桂村のうち200石、山城国葛野郡松尾谷村のうち25石2升4合、山城国葛野郡松室村のうち21石6斗、山城国葛野郡上山田村のうち 3石4斗、山城国乙訓郡寺戸村のうち200石、山城国紀伊郡吉祥院村のうち1石5斗6升であり、合計7村・502石2斗8升4合。
- ^ 三条西家の大納言直任(中納言からそのまま大納言になることを直任といい、直任される家は中納言を一度辞してから大納言になる家より格上と見なされていた)の回数は12回なので叙爵内規の伯爵の基準である「大納言まで宣任の例多き旧堂上」に該当[11]。
- ^ 風早公紀の子。
- ^ a b c d e f g h i 日本大百科全書(ニッポニカ). “三条西家”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2022年11月22日閲覧。
- ^ a b 小田部雄次 2006, p. 324.
- ^ a b c d 太田 1934, p. 2703.
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “三条西公国”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2022年11月22日閲覧。
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “三条西実条”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2022年11月22日閲覧。
- ^ 森岡浩 2012, p. 239.
- ^ a b c d e 華族大鑑刊行会 1990, p. 73.
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “三条西季知”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2022年12月15日閲覧。
- ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
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