ルー・テーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 18:31 UTC 版)
獲得タイトル
- NWA世界ヘビー級王座:5回
- NWA殿堂:2005年[21]
- ナショナル・レスリング・アソシエーション(旧NWA)
- NWA世界ヘビー級王座(アソシエーション版):3回
- アメリカン・レスリング・アソシエーション(ボストン)
- AWA世界ヘビー級王座:1回[22]
- アメリカン・レスリング・アライアンス(インディアナ / オハイオ / コロラド)
- AWA世界ヘビー級王座:1回[23]
- WWA世界ヘビー級王座:1回
- TWWA世界ヘビー級王座:1回
- UWA世界ヘビー級王座:1回
- NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
- NWA南部ジュニアヘビー級王座:2回
- NWA南部タッグ王座:1回(w / ジャッキー・ファーゴ)[24]
- WCW殿堂:1993年[25]
- その他
- MWA世界ヘビー級王座:2回
- 世界ヘビー級王座(ロサンゼルス版):1回
ベストレスラー25人
- テーズが史上最強と考える5人のレスラー
- エド・ルイス
- ジョー・ステッカー
- フランク・ゴッチ
- ジム・ブラウニング
- ジョージ・ハッケンシュミット
- テーズが現役時代のライバルとして挙げる5人のレスラー
- 上記以外で、テーズがベスト25人に挙げるレスラー
エピソード、その他
- 稀代のシューターでもあったが、旧NWAの世界タイトルマッチでは3本勝負のうち1本は必ず相手に取らせ、チャンピオンとしての器の大きさを示していた。大木金太郎と戦ったタイトルマッチでも1本目を取らせ、あまりに簡単に一本取れたことでこれならチャンピオンになれるのではないかと勘違いしたため2本目で大木は頭突きを積極的に仕掛けたが、これに怒ったテーズはパンチで滅多打ちにしてからバックドロップで仕留めた[18]。大木と同様にNWAの世界タイトルを奪おうとシュートを仕掛けてくる挑戦者が何人もいたが、テーズは彼らをことごとく返り討ちにした。
- テーズのプロレス観の基本はレスリング技術を要する、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンであるため度々ショー的になったプロレスに対し苦言を呈している。ドロップキックなどのリアルでない技もあまり好まないが時流に乗るために仕方なく使用していたと言う。地味でもレスリングのできる選手を高評価し、ブルーノ・サンマルチノ、アントニオ・ロッカ、プリモ・カルネラらを毛嫌いした。晩年期の1990年代後半から2000年代初頭においては大技中心の攻防が主となってきた当時の日本のプロレス界の潮流については「タフマンコンテストになりつつある」、また同時期のWWEに関しては「あれはカートゥーン(漫画)だよ」と批判をしていた。
- その一方で、自著内では、ショーマンシップに長けたゴージャス・ジョージを絶賛している。
- テーズはセントルイスのプロモーター、サム・マソニックと関係が深く、マソニックがNWAを設立すると、テーズは正統なレスリングのチャンピオンと認定された。その後もマソニックは常にテーズをレスリングの権威の象徴として扱い、一方、テーズも数多くのタイトルマッチを行って、NWAの勢力拡大に貢献した。
- アメリカにおいては、テーズは1930年代から1990年代に及ぶ現役生活と6度の世界王座獲得により、別格のチャンピオンと認知されている。ただし、人気の面ではゴージャス・ジョージ、バディ・ロジャース、アントニオ・ロッカといった各時代の人気レスラーには及ばなかった。逆にこの三人は多忙だったため全盛時代の来日は無く、日本での認知度はテーズよりも低い。
- 日本においては、テーズは力道山との2度にわたるNWA世界ヘビー級選手権試合で注目され、外国人プロレスラーの多くが悪役であった時代に、正統派レスラーとして戦うことで強い印象を残した。また日本では、936連勝という記録でも知られている。アメリカではこの記録について語られることはほとんどないが、実際は936を超える連勝記録を持つ。しかし、力道山の死後にグレート東郷と組んで日本のプロレスを乗っ取ろうと試みたり[27]、新日本プロレスの長州力をグレーテスト18クラブ王者に認定する一方で、UWFインターナショナルの高田延彦をプロレスリング世界ヘビー級王者に認定して新日本プロレスを激怒させておきながら[28]、UWFインターナショナルの経営が傾くと早々に縁を切るなど[29]、金銭面にシビアな行動もあった。
- アントニオ猪木対モハメド・アリに際し猪木にレフェリーを要請されていたが、アリ陣営側から却下された。テーズ自身もプロボクサーとの対戦経験があるのでプロレスラーVSプロボクサーには非常に興味があったという。
- 1981年1月31日、国際プロレスの招きで来日していたテーズは、東急町田店スポーツ館の1日館長を務めた。その際のファン・インタビューで「猪木・馬場・ラッシャー木村の中で、誰が一番強いか?」という質問に対して「相撲とレスリングをマスターしている木村だね」と、自分に対してお金を積んでいる人達に対して率直に高評価をしている。
- 引退試合の蝶野正洋戦でも鮮やかなバックドロップ(ヘソ投げ式バックドロップ)を決め、観客から「テーズ」コールが起きた。
- 1991年には、『第15回アメリカ横断ウルトラクイズ』準決勝ヨークタウンでの罰ゲームにゲストとして登場し、敗者2人の対戦相手をしている。この時のテーズは75歳であったが、2人を圧倒してしまった。途中で一度ダウンを取られており、それからは本気を出してレフェリーストップを掛けられている。
- テレビアニメ『タイガーマスク』には「ルー・ケーズ」というテーズをモデルにしたレスラーが登場する。どちらかというと「日本人レスラーの敵=悪役」というイメージであり、テーズスペシャルスマッシュ(拳によるパンチ)を多用している。ちなみにルー・ケーズ(Lou Kesz)というリングネームのプロレスラーが過去に実在した。
- 強さではカール・ゴッチと並び称されているが、ゴッチがひたすらに強さのみを求めており、プロレス界から干されようともその考え・信念を曲げなかったのに対して、テーズは自分の強さをアピールしつつ、あえて対戦相手に花を持たせるバランス感覚も併せ持っていた。アントニオ猪木は「ゴッチは厳格な師匠で、テーズは親しみが持てる親父さんかな」と評している。
- テーズはカール・ゴッチをレスラーとして高く評価し、またゴッチがテーズと同じくハンガリー人とドイツ人の血を引いていることから、一時はゴッチとテーズはテーズの両親も含めて非常に親しい関係であった。しかし、テーズはレスラーとしてのゴッチは生涯高く評価し続けたが、後年にはゴッチと個人的な付き合いをすることは無くなった。テーズの伝記の著者キット・バウマンによると、生前のテーズはゴッチについては語りたがらずゴッチと疎遠になった理由も明言しなかったが、不和の原因はレスリングの能力に対するテーズとゴッチのプライドから生じたとされる。またテーズの未亡人であるチャーリーによると、テーズはゴッチに自分と同じ才能を感じ、プロレスの将来のためにゴッチをチャンピオンにしようとしたが、プロレス観の違いからゴッチに拒絶されてしまったため、テーズはゴッチに失望したのではないかと語っている。
- 1990年3月、バージニア州ノーフォークで功績を認められて永久保持となっていたNWA世界ヘビー級王座ベルトをインターナショナルワールドヘビー級王座の名称で復活させ、トーナメント決勝でブラックジャック・マリガンを破ったマーク・フレミングが新王者となり、その後約2年間保持するも1992年、テーズとUWFインターナショナルのビジネスにより、UWFインターナショナルのリングでプロレスリング世界ヘビー級王座として再復活し、高田延彦がチャンピオンとなり、フレミングはUインターの常連外人選手となる。そこには複雑なビジネスや人間関係があった。その後、1997年初頭に地元バージニア州ノーフォークのラジオ番組でベルトを50万ドル(当時のレートで約6000万円)で売りに出した。ただし売却出来たかは不明である。
- 体調管理は徹底しており、目に良くないので特に写真を撮る際にはフラッシュを焚かれることを嫌っていた[18]。
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』, pp.21-26.
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』, p.80.
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』, pp.81-87.
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』, pp.106-107.
- ^ “MWA世界ヘビー級選手権 (オハイオ版)”. Wrestling-Titles.com. 2021年4月1日閲覧。
- ^ “MWA World Heavyweight Title (Ohio-Version)”. Wrestlingdata.com. 2014年11月30日閲覧。
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』, p.106.
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』, pp.107-108.
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』, pp.122-123.
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』, pp.125-126.
- ^ “WWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年1月23日閲覧。
- ^ “【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2022年12月20日閲覧。
- ^ “UWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月30日閲覧。
- ^ “The USWA matches fought by Lou Thesz in 1980”. Wrestlingdata.com. 2014年11月30日閲覧。
- ^ “Events Database: WWF House Show”. Cagematch.net. 2014年11月30日閲覧。
- ^ a b “Congratulations to the 2016 WWE Hall of Fame Legacy inductees”. WWE.com. 2016年4月3日閲覧。
- ^ ミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』宝島社、2018年。ISBN 9784800289216 pp.212-213
- ^ a b c 『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』(ダイアプレス、2016年)p17
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』, pp.90-92.
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』, pp.109-110.
- ^ “NWA Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2022年5月4日閲覧。
- ^ “AWA World Heavyweight Title [Boston]”. Wrestling-Titles.com. 2019年8月8日閲覧。
- ^ “AWA World Heavyweight Title [Indiana / Ohio / Colorado]”. Wrestling-Titles.com. 2019年8月8日閲覧。
- ^ “NWA Southern Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2019年8月8日閲覧。
- ^ “WCW Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2022年5月4日閲覧。
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』, p.85, 96.
- ^ テーズは「力道山の死後、困難な状況にあった日本のプロレスを助けたいと考えていたところ、その想いを東郷に悪用されてしまった」と釈明している。
- ^ その後も「日本におけるプロレスの発展を願うがための行動」として、弟子である新日本プロレスの蝶野正洋と高田を戦わせよう画策した。
- ^ テーズによると「レスリングの出来ない大男でしかないベイダーを重用した時点で、UWFインターナショナルに失望してしまったんだ」とのことである。
- 1 ルー・テーズとは
- 2 ルー・テーズの概要
- 3 獲得タイトル
- 4 著作
ルーテーズ
固有名詞の分類
- ルー・テーズのページへのリンク