リロイ・ランシング・ジェーンズ 脚注

リロイ・ランシング・ジェーンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 10:23 UTC 版)

脚注

参考文献

  • 杉井六郎「ジェインズ,リロイ・ランシング」『キリスト教人名事典』日本基督教団出版局、1986年
  • 杉井六郎「ジェインズ」『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
  • 中村敏『世界宣教の歴史』いのちのことば社、2006年
  • 中村敏 『日本キリスト教宣教史』 いのちのことば社、2009年
  • 熊本県立大学 『ジェーンズが遺したもの』 L.L.ジェーンズ来熊140年記念シンポジウムブックレット、2011年
  • 熊本県立大学編著『ジェーンズが遺したもの』 熊本日日新聞社、2012年、熊日新書

関連項目

外部リンク


注釈

  1. ^ ジェーンズの自宅は、ジェーンズを迎えるために明治4年に建てられたもので、熊本県最初の西洋建築であり、県重要文化財に指定されていて、日本赤十字発祥の地と言われている。しかし、2016年(平成28年)4月16日熊本地震のためジェーンズ邸は倒壊した[4]

出典

  1. ^ 杉井六郎『日本キリスト教歴史大事典』602頁
  2. ^ スカッダー家は世界宣教の歴史の中でもっとも傑出した医療宣教の家系であると言われている。一族から42人が宣教師になった。中村、2006年、188-189頁。
  3. ^ 『熊本洋学校』、前田河広一郎(1943年)。『蘆花の芸術』収録。NDL
  4. ^ 【熊本地震最前線レポート】(42)〜崩壊した熊本県下最古の西洋建築物「ジェーンズ邸」”. NetIB News (2016年4月18日). 2021年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月25日閲覧。
  5. ^ ノーベル書房編集部 『旧制大学の青春』 ノーベル書房、1984年、180頁
  6. ^ a b 森永長壹郎「何故同志社はキャプテン・ジェインズを獲得できなかったのか」『新島研究』第101巻、同志社大学同志社社史資料センター、2010年2月、114-124頁、CRID 1390572174867265152doi:10.14988/pa.2017.0000013000ISSN 0287-5020NAID 1100095558942023年11月15日閲覧 
  7. ^ 明治時代:肥後国 くまもとの歴史 2020年8月24日閲覧。
  8. ^ a b c d e f "American Samurai: Captain L.L. Janes and Japan" F. G. Notehelfer, Princeton University Press, 2014/07/14, p226-
  9. ^ a b c d e f g h 石井容子「浮田和民とL・L・ジェインズ大尉の人間的交流 : 浮田文庫書簡などを通して」『同志社談叢』第34巻、同志社大学同志社社史資料センター、2014年3月、1-30頁、CRID 1390290699891077120doi:10.14988/pa.2017.0000014153ISSN 0389-7168NAID 120005642077 
  10. ^ 本井康博 『新島襄と明治のキリスト者たち』 教文館、2016年、301頁


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