ミュンヘン学派 (地理学) ミュンヘン学派 (地理学)の概要

ミュンヘン学派 (地理学)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/23 02:06 UTC 版)

ミュンヘン学派はドイツ語圏での社会地理学研究における一つの流れを形成したとされており、中心的な研究者はカール・ルッパートドイツ語版フランツ・シャッファードイツ語版である[3]

系譜

ハルトケの門下生は1950年代には農村1960年代都市をフィールドとして実証研究を行った。また、社会地理学の方法論についてはルッパートやシャッファーが追求した[4]

ハルトケは1952年までフランクフルト大学で教鞭をとっており、その後ミュンヘン工科大学に勤務した。ルッパートは1952年にフランクフルト大学で博士号を取得後、1959年には教授資格を取得してハルトケのミュンヘン工科大学で助手を務め、1965年からはミュンヘン大学経済地理学正教授に着任する[4][5]。また、ガイペルドイツ語版もハルトケの門下生であり、1963年にフランクフルト大学教授、1969年からミュンヘン工科大学で応用地理学の正教授に着任した[5]

1960年代、ハルトケは門下生に都市研究を要求しており、この時に指導を受けた学者としては地誌及び地域整備研究所ドイツ語版所長のガンザードイツ語版がいる[1]。また、シャッファーは博士号をハルトケの指導の下ミュンヘン工科大学で取得し、1971年にルッパートのミュンヘン大学で教授資格を取得、のちアウクスブルク大学ドイツ語版の教授に就任した[4]

ハルトケの影響はウィーン大学ボーベクドイツ語版にも及んだ[注釈 2]。このことからウィーン・ミュンヘン学派とも呼ばれている[1][4]

学史

ミュンヘン学派の出発点はハルトケの指導によるクレッカー(Ursel Kröcker)の農村における社会的休閑地ドイツ語版の研究であり、1950年代にわたってクレッカーやガイペルなどにより「社会的休閑」をめぐる研究が行われた[6]。なお、「社会的休閑」に関する研究はミュンヘン学派のみならず他の地理学者農村社会学などでも行われた[7]

1960年代になると主要な研究テーマがこれまでの農業地理学から観光地理学を経て、都市地理学に移る[8]。観光地理学研究にテーマが移っても、観光に着目した農村地域への影響を分析しており、内容としては大きな変化はなかった。その後の都市地理学的研究で都市構造に焦点を当てるようになる。ルッパートとシャッファーは現代における生活は機能[注釈 3]的に分化した空間によって成り立っていると考えた[8]

ミュンヘン学派による社会地理学研究が盛んだったのは1960年代までである。1977年マイヤードイツ語版らによって社会地理学としては初の教科書である『社会地理学』が刊行された時点で、既に学界におけるミュンヘン学派は下火となっており、1980年には英語圏で発達を遂げた行動研究に統合されたとされる[10]

特徴

社会地理学はこれまで空間を研究の対象としてきたが、ハルトケは人間活動そのものを研究のテーマとしており、ヴァーレン英語版は地理学におけるコペルニクス的転回であると評価している[11]

都市の分析から始まり、社会学と接近して「地理学」であることをあまり意識しなかったイギリスの社会地理学とは系譜を異にしており、ミュンヘン学派は農村の分析から始まり「地理学」を強く意識した研究であった[12]。ハルトケは社会的休閑地や新聞講読圏など政治問題に注目した研究を行った。続くルッパートやシャッファーは動態的な考察を重視して独自の社会地理学理論を展開し、教科書『社会地理学』を記した[1][11]


注釈

  1. ^ ミュンヘン学派への批判を行ったギュンター・レング(Gunter Leng)は、ハルトケとその門下を「ミュンヘン学派」としているが、実際に批判をしていたのはルッパートとシャッファーのみである[1]
  2. ^ ボーベクの社会地理学とハルトケの社会地理学は大きく異なる[2]
  3. ^ ①居住、②休養、③財・サービスの購入、④教育、⑤余暇・休養、⑥交通、⑦コミュニケーション[8][9]

出典

  1. ^ a b c d 山本 1981, p. 338.
  2. ^ a b 森川 2004, p. 54.
  3. ^ 堤 1992, p. 262.
  4. ^ a b c d 堤 1992, p. 268.
  5. ^ a b 山本 1981, p. 337.
  6. ^ 山本 1981, pp. 52–54.
  7. ^ 山本 1981, p. 55.
  8. ^ a b c 山本 1981, p. 346.
  9. ^ a b c 森川 2004, p. 57.
  10. ^ 森川 2004, p. 58.
  11. ^ a b c 森川 2004, p. 55.
  12. ^ 堤 1992, p. 271.
  13. ^ 森川 2004, pp. 57–58.
  14. ^ 山本 1981, pp. 346–347.
  15. ^ a b c 堤 1992, pp. 272–273.
  16. ^ 堤 1992, pp. 274.


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