ポップアート ポップアートの消滅と継承

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ポップアート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/26 07:40 UTC 版)

ポップアートの消滅と継承

ポップアートの熱狂は1960年代末になると、クールで静謐なミニマルアートや大地いっぱいに作品をつくり売買を拒否するようなアースワークに押され、美術の世界から急速に冷める。大衆文化も、異議申し立てを行う若者向けのカウンターカルチャーは再び巨大産業の消費システムに取り込まれ、その先はフォークロアヒッピードラッグという現実逃避の方向に流れた。ポップアートの末期は、ドラッグによる幻覚を表現したピーター・マックスらのサイケデリックアート英語版へと変質したが、これらはむしろ商業デザインとして大量消費されてしまう皮肉な結果となった。

広告美術はポップアートの最初の継承者となった。特にポップアートが示した、商品や大衆文化のイコンをもとに刺激的な作品を作るという発想は、広告美術を単に大衆に迎合し商品の情報を提供して消費をあおるだけのものから、商品を記号化し新しいヴィジュアルイメージを構築し、大衆の視覚文化をリードするものに変えた。広告には優れた写真家やイラストレーター、美術家が起用され、純粋芸術の要素を取り入れた個性的で新鮮で洗練された広告美術が登場し、大衆文化の一部としてうけいれられた。

ポップアートの美術界における末裔

今日に至るまで、商品や広告のイメージは洗練される一方、広告による大量消費の呼びかけは日常生活を完全に侵食してしまっている。純粋芸術と大衆文化の間の壁がますます失われるにつれ、大衆的なイメージや大量生産商品を用いた美術はすでに当たり前のようになっている。

たとえば1980年代のニューヨークで大衆文化からの盗用を積極的に推し進めたシミュレーショニズムは、純粋芸術の崩壊と資本主義の高度化に対してポップアートをさらに過激にしたようなものだった。またソ連時代の1960年代からロシアでひそかに制作されていた、ありふれた公式美術の社会主義リアリズムを流用しながらソ連体制やロシア社会を批判した作品群は、ソ連末期以後公開されるようになり、ポップアートをもじって「ソッツ・アート英語版」とよばれていた。

代表的なアーティスト

日本のポップアート・現代アート


  1. ^ Livingstone, M., Pop Art: A Continuing History, New York: Harry N. Abrams, Inc., 1990
  2. ^ 山口藍 - 美術手帖ホームページ


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