ベルリンの歴史 ドイツ帝国期

ベルリンの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/28 07:56 UTC 版)

ドイツ帝国期

国会議事堂(19世紀末)

プロイセンは自らの指揮の下により独仏戦争を終結させたことにより小ドイツ主義を推し進めていく。1871年にはドイツ帝国が建国され、ヴィルヘルム1世が皇帝に即位した。またオットー・フォン・ビスマルク帝国宰相に任命され、ベルリンは帝都となった。

ベルリンはこの時代に産業都市として発展し、人口も80万を超えるようになっていた。この成長によりインフラストラクチャーが間に合わなくなってきた。1873年にようやく下水道整備工事が開始され、1893年に完了する。経済の面では、いわゆるグリュンダーツァイトドイツ語版(泡沫会社乱立時代)を経て1873年恐慌が起こり、1870年代後半は不景気となっていく。しかしながらなおも都市開発を進めることは課題として残っていた。1876年1月1日、ベルリン市は帝国政府から橋と道路の建設に関する契約を受ける。1882年のいわゆるクロイツベルク判決ドイツ語版により、建築警察ドイツ語版の権限は危険回避にかかるものに制限され、美観に関する関与は禁止された。

1896年、輸送力の増強を図るため地下鉄近郊線の建設が開始された。またヴィルヘルミニッシャー・リングドイツ語版といった都心周辺の住宅地(クロイツベルクドイツ語版プレンツラウアー・ベルクフリードリヒスハインドイツ語版、ヴェディング)では、労働者が安い家賃で住める集合住宅が建設された。1850年からはベルリン南西部の開発に着手し、中産階級向けの住宅街を拡張し、また19世紀末には西部で高級住宅街が造成されていった。1904年から1908年にかけて、ベルリンについて詳細に研究した 『大都市叢書ドイツ語版』全51巻が出版された。これは当時のドイツ語圏で行われた都市研究プロジェクトの中で最大のものである。この主要なテーマの一つに、ベルリンとウィーンの比較がある。それは当時、ベルリンは「近代の人工都市」、ウィーンはこれに比べ伝統、文化の面で優る、と一般に理解されていたという背景がある[4]。1909年、ヨハニスタールドイツ語版にドイツ初の飛行場、ヨハニスタール飛行場が開かれる。1911年にはベルリン市域の急速な発展によりインフラストラクチャー政策の調整が必要となったことから大ベルリン広域連合ドイツ語版が設置され、この目的組合は1920年に大ベルリン(後述)となっていく。またこの広域連合の成果として保存樹林協定ドイツ語版の締結が挙げられる。

第一次世界大戦によりベルリンは食糧不足に苛まれる。1916年から1917年にかけての冬の時季には15万人が食糧支援を頼り、またストライキも起こった。1918年に大戦が終結するとヴィルヘルム2世は皇帝を退位する。その後社会民主党 (SPD) に所属していたフィリップ・シャイデマンと共産主義者カール・リープクネヒトはそれぞれ11月革命が成功したのちに共和政国家の成立を宣言する。その翌月、ベルリンでは議会会派間で市街戦が頻発した。


注釈

  1. ^ 現在のベルリン南部のツェーレンドルフドイツ語版や、当時ツェーレンドルフとは別であったシュラハテン湖ドイツ語版沿岸のスラヴ人地域、スラートドルプ(Slatdorp)は一時、レニーン修道院ドイツ語版が所有していた。

出典

  1. ^ Hofmann, Michael; Romer, Frank (Deutsch). Vom Stabbohlenhaus zum Haus der Wirtschaft. Ausgrabungen in Alt-Cöln, Breite Straße 21 bis 29. Berlin: Schelzky & Jeep. ISBN 978-3895411472 
  2. ^ Deutschland: Berlin älter als bisher angenommen (ドイツ語版ウィキニュース)
  3. ^ Waack, Ulrich (2005). “Die frühen Herrschaftsverhältnisse im Berliner Raum - eine neue Zwischenbilanz der Diskussion um die "Magdeburg-Hypothese"”. Jahrbuch für brandenburgische Landesgeschichte (56/2005): pp. 7-38. ISSN 0447-2683. 
  4. ^ Thies, Ralf (2001年). “Schriftenreihe der Forschungsgruppe "Metropolenforschung" des Forschungsschwerpunkts Technik - Arbeit - Umwelt am Wissenschaftszentrum Berlin für Sozialforschung” (PDF) (ドイツ語). Wissenschaftszentrum Berlin für Sozialforschung. 2008年8月24日閲覧。
  5. ^ Rekittke, Volker; Becker, Klaus Martin (1995年11月17日). “[http://squat.net/archiv/duesseldorf/Dipl_Int-1_4-2.html Politische Aktionen gegen Wohnungsnot und Umstrukturierung und die HausbesetzerInnenbewegung in Dusseldorf von 1972 bis heute]” (ドイツ語). 1.4.1 Häuserkämpfe in Berlin 1979 - 81. 2008年8月24日閲覧。





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