ベルリンの歴史 壁の崩壊と再統一

ベルリンの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/28 07:56 UTC 版)

壁の崩壊と再統一

象徴的な墓標はベルリンの壁による犠牲者を追憶している(1990年1月)
東ドイツ閣僚評議会議長ハンス・モドロウ、西ドイツ連邦首相ヘルムート・コール、西ベルリン市長ヴァルター・モンパー、壁側のコールとモンパーのあいだに東ベルリン市長エアハルト・クラック
1989年12月22日、ブランデンブルク門の開放において
ポツダム広場近くのベルリンの壁の残骸

1989年になるとポーランド民主化運動ハンガリー民主化運動の影響を受けて東ドイツ各地や東ベルリンで反体制デモが多発し、多くの東ドイツ国民がハンガリーチェコスロヴァキア経由で西ドイツへ逃亡するようになっていた(汎ヨーロッパピクニック)。10月、東ベルリンでドイツ民主共和国建国40周年記念式典が開かれ、貴賓として出席していたミハイル・ゴルバチョフは演説で、ハンガリーやチェコスロヴァキアに逃れた亡命者に関する東ドイツの締め付け政策を認めないということをほのめかした。これによって、東ドイツ政府がソ連の後ろ盾を失ったことが明らかになり、それまで実権を握っていたエーリッヒ・ホーネッカー国家評議会議長(兼ドイツ社会主義統一党書記長)は失脚し、エゴン・クレンツが後継者となったが混乱は続く一方だった。

11月9日ボルンホルム通りドイツ語版検問所の国境警備隊は、SED 政治局員ギュンター・シャボフスキーが記者会見での勘違いによる発言を信じて押し寄せていた東ベルリン市民が西ベルリンに通過することを認めた。この他の検問所もこれに続いた。多くの東ベルリン市民がその夜の内に国境を超えた。 多くのベルリン市民がブランデンブルク門の周りで壁によじ登り、周囲は祭りのような活気に包まれた。旅行の自由は取り消されることなく、壁はそのまま取り壊された。多くのベルリン市民が金槌を手に、いわゆる „Mauerspecht“(壁キツツキ)になって、壁のかけらを記念品として持ち帰っていった。この事件は後に「ベルリンの壁崩壊」と呼ばれることになる。

東ベルリン市長ティノ・シュヴィーアツィナドイツ語版と西ベルリン市長ヴァルター・モンパーはその後取り決めを交わし、再統合に伴う数多くの業務に着手することを決めた。両市長はメディアにおいて「シュヴィーアツォンパー、あるいはモンプツィナ (Schwierzomper oder Mompzina)」という表現で揶揄された。

1990年10月3日、ドイツ、そして同時にベルリンが再統一された。再統合に関する同意により、連合国はベルリンの統治権を放棄し、これによってベルリンはドイツ連邦共和国を構成する領域となった。その後12月2日に統一ベルリン初の市議会選挙が実施された。


注釈

  1. ^ 現在のベルリン南部のツェーレンドルフドイツ語版や、当時ツェーレンドルフとは別であったシュラハテン湖ドイツ語版沿岸のスラヴ人地域、スラートドルプ(Slatdorp)は一時、レニーン修道院ドイツ語版が所有していた。

出典

  1. ^ Hofmann, Michael; Romer, Frank (Deutsch). Vom Stabbohlenhaus zum Haus der Wirtschaft. Ausgrabungen in Alt-Cöln, Breite Straße 21 bis 29. Berlin: Schelzky & Jeep. ISBN 978-3895411472 
  2. ^ Deutschland: Berlin älter als bisher angenommen (ドイツ語版ウィキニュース)
  3. ^ Waack, Ulrich (2005). “Die frühen Herrschaftsverhältnisse im Berliner Raum - eine neue Zwischenbilanz der Diskussion um die "Magdeburg-Hypothese"”. Jahrbuch für brandenburgische Landesgeschichte (56/2005): pp. 7-38. ISSN 0447-2683. 
  4. ^ Thies, Ralf (2001年). “Schriftenreihe der Forschungsgruppe "Metropolenforschung" des Forschungsschwerpunkts Technik - Arbeit - Umwelt am Wissenschaftszentrum Berlin für Sozialforschung” (PDF) (ドイツ語). Wissenschaftszentrum Berlin für Sozialforschung. 2008年8月24日閲覧。
  5. ^ Rekittke, Volker; Becker, Klaus Martin (1995年11月17日). “[http://squat.net/archiv/duesseldorf/Dipl_Int-1_4-2.html Politische Aktionen gegen Wohnungsnot und Umstrukturierung und die HausbesetzerInnenbewegung in Dusseldorf von 1972 bis heute]” (ドイツ語). 1.4.1 Häuserkämpfe in Berlin 1979 - 81. 2008年8月24日閲覧。





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