ブレイン・フーヴァー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/15 09:25 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動経歴・人物
コロラド州イーグル郡レッド・クリフ出身。ウィスコンシン州、ベロア大学及びシカゴ大学卒業後、USスチールに勤務。その後は、フランクリン・マックビーに転勤し、米国船舶委員会やシューマン社、イェール大学内の出版部に転々と勤務し、雇用関係の仕事にあたった。1935年にはイリノイ州の事業促進局の部長を務め、1937年にはシカゴ・パーク内人事委員会の雇用監督官、1943年からはアメリカ・カナダ人行政委員会の会員となり後に委員長を歴任した。同委員会勤務中の1946年(昭和21年)末に日本政府の招聘により来日した。
滞日中はGHQ(連合国軍最高司令部)に雇われ、フーバーが公務員課長を務めた米国人の使節団によって構成された「フーヴァー使節団」の団長となり、官僚制度の改革に携わった。一時の帰国を挟み、1947年(昭和22年)6月に「フーヴァー報告書」に言及されている国家公務員法の内容が批判され、削除された事で不満を持ったにより再来日した。再来日後は再度GHQに勤め、同部内の民政局公務員課長を1949年(昭和24年)まで務めた。ダグラス・マッカーサーの支持により、1948年(昭和23年)11月に改正国家公務員法を制定し、日本における労働改革に大きく貢献した。
出典
- 1 ブレイン・フーヴァーとは
- 2 ブレイン・フーヴァーの概要
- ブレイン・フーヴァーのページへのリンク